2014.04.13

向日葵

 地方都市の郊外にある小さな丘を望む私の家は、かつてはアイルランドから移住した小説家と美しい日本人の夫人が住んでいたという。「翻訳の仕事を主にし、その間にその土地にある古くからの伝承物語を題材にした小説等を書いて質素な生活を送っていたが、病弱な夫人が亡くなったあと、どういうわけか、家をそのままにして故郷に帰った」と地元の不動産屋に聞かされた。

 私は東京の出版社に勤めていて、社会学の専門書の編集をしていたが、複雑な人間関係に煩わされて嫌になっていた。仕事に行き詰まって、ふらりと旅に出て訪れたその土地のなだらかな山に囲まれた静かな佇まいが気に入って、不動産屋に勧められるまま、小説家が残していったというその家を安く借り受けることにしたのだった。「そろそろ独立して一人で本を書きながら、慎ましく規則正しい生活をする頃なんだろうな」そう思い、思いきって都会生活を捨てた。

 小説家の残していった家は、二階の書斎から小さな丘が望めて気持ちよかったが、私にとっては少し広すぎたので一人の娘を手伝いに雇うことにした。名前は夏子といって、下の村から通って来て、丘に夕日が沈む頃に帰っていく。陽気で、情熱的で、笑顔の綺麗な子だった。いくつかある部屋の掃除や、炊事、洗濯、買い物、家の外の草むしり等もしてもらったが、「難しい顔をしている」と言っては、仕事に詰まってると、お茶や地元でとれた果物等を丸い小さなお盆に載せて持ってきてくれて、少し話をした。

 下の村で起こった〇〇さんの家で起こった「狐つき事件」のことを「あれは、旦那さんがお酒を飲んで酩酊して朝に帰ってきたとき、奥さんに叱られないために、狐にバカされた話を言い訳に使っただけ!」とか楽しく話してくれたり、「○○さんと○○さんは仲が良くて、もうすぐ結婚するだろう」とか、「○○家と○○家は敷地の件でいつも揉めて、集会所で会うと喧嘩ばかりしている」とか、そんな浮き世の話がどうゆうわけか私にとっては心地よく感じられた。高校を卒業し家の手伝いをしながら、大学にゆこうと思って一人で勉強をしている。「良かったら英語なんか苦手なので教えてね」などと屈託のない調子言われると、私もつられてよく笑い、しゃべった。「春になると、二階の書斎から見えるあの丘に向日葵がいっぱい咲くのよ。そのときはとっても綺麗よ先生! 私、向日葵って大好きなの」しばらく、私は毎日が楽しくなった。

 毎日毎日コツコツと仕事をしていたが、そんな風に日常はカタツムリのように通り過ぎるだけ。書斎の窓からは一冬を越した緑の丘。そんなある日、窓の向こうの景色に驚かされた。ふと気づくと、向日葵が一斉に咲いていた。夏子が言っていた話を私はすっかり忘れていたのだった。「これだったか」と私はその者達に惹き付けられた。よく見ると向日葵は皆太陽の方を向いて胸を張って立っている、生命を漲らせ、まだら模様が悩ましい。しばらく私は毎日丘を眺めるのが楽しみになった。それもつかの 間、楽しみは突然終わってしまった。その者達は突然一斉に、頭を垂れて死んでいってしまったのだった。

 そうやって夏が終わり、夏子もまた去っていった。なんでも、叔父の仕事の都合で、アイルランドに留学する事になったらしい。突然やって来て、悩ましいそのまやかしをいっぱいに広げて去っていったあの向日葵のように。私の心をかきむしって「そんなにして行ってしまうのなら、やって来なければ良かったのに!」またつまらない日常というヤツがやって来たが……。そのようにしてようやく一冊の本を、私は書き上げたのだった。

(バーナード・フォレストの詩に高田渡さんが曲をつけて歌っていた「ひまわり」の印象を元にストーリーにしてみました)

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2014.01.12

アンサリーのハレルヤにのせて

売り娘を探そうとして
思いでの中を帰ろうとするたびに
僕は内なる階段を降りてゆく

エンドウの花が
風に揺れている夕暮れ
呼びもしないのに
やって来るまやかしの言葉に
酔ってしまった桃色の頬は
世界の確かさにその模様を広げる

僕は悲しいレモン水を
一気に飲み込んで
故郷の鉛の空に
たった一つの心を鳴らした

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2012.10.15

ものもらいの話


ご存知、貘さんの詩です。前にも書きましたが、この歌を鼻歌で歌うとなぜか元気になります。なぜでしょう? 自分も貧しいからでしょうか。歌うときのコツはできるだけゆっくりと引っ張るように歌うことです。そうすると鼻歌が鼻歌でなくなり、本当の歌になってしまいます。散歩をしながら歌うときは気をつけてください。曲がり角などでいないはずの人間が突然現れて、恥ずかしい思いをします。咳き込んでごまかしてもごまかしきれませんからね。変な人に思われても私はしりません。

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2012.10.13

愛情69


なでまわして、なでまわして、それでもって夢でもまたなでまわして。そうしないでは生きていられない。なでまわされた方は目や鼻が無くなるくらいにのっぺりとしてきて、ついにはブランクーシのポガニー嬢のようにつるつるまあるくなって光りはじめた。これ以上なでまわすとすり減ってきて、小さくなり、ついには無くなってしまうのではないかと気付きはじめた。そうなると、なでまわしたしすぎた私のプレザンスというものがどうなるかと考えると、それはあってはならなくて、やはりそれは過ちであったことに気付くのだ。その過ちは、君にもあると言われてもそれって私なのか第三者のことなのかわからないのだが、その状況から逃げねばなるまい、ということだけはわかりすぎるくらいわかるのだった。←これも妄想です。

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向日葵


私は翻訳を仕事にしている。毎日毎日コツコツと仕事をしているが、日常はカタツムリのように通り過ぎるだけ。書斎の窓からは一冬を越した緑の高原が望める。そんなある日、窓の向こうの景色に驚かされる。ふと気づくと、向日葵が一斉に咲いていた。私はその者達に惹き付けられよく見ると皆お日様の方を向いて胸を張って立っている。生命を漲らせ。まだら模様が悩ましい。しばらく、私は毎日が楽しくなったのだったがそれもつかの 間、楽しみは突然終わってしまった。その者達はみんな頭を垂れて死んでいってしまったのだった。そういえば似たようなことがあったことを思い出した、あいつのことだ。呼びもしないのに突然やって来て、その悩ましいまやかしさをいっぱいに広げてまた突然去っていった。私の心をかきむしって。そんなにして行ってしまうのなら、やって来なければ良かったのに! 呼びもしないのにやって来やがって。またつまらない日常というヤツがやって来たのだった。←これは妄想です。

バーナード・フォレスト、昔っからググッてるのですが、なかなか出てきません。でもきっと素敵な詩人に違いありません。いつかこのイメージで絵を描こうと思ってます。竹久夢二風にね!

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2012.09.25

くつが一足あったならとグッナイアイリーンと太宰治の『葉桜と魔笛』


この2つというか、実は歌と詩と短編小説、この3つには共通のテーマがあるように思える。茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」のように、人間には一番輝くべきときがあって、そのときに本来輝くべきなのだろうけれども、そんなにふうに行かないのが人生というもの。「わたしが一番きれいだったとき」は戦争に、「くつが一足あったなら(グッドナイトアイリーン)」は宿命に、『葉桜と魔笛』は病気に。ただそれだけなら人生は定まったものでしかなく、そこにはただ悲哀しかないではないか。囚われなければならないのは他に理由があるからだ。同苦できること、つまりそのための道だ。お前の道を示すこと。
それにしてもなんとも強烈なタガではないか、現実よ!
暗黒の夜を迎えるとき、これらの歌や詩や小説のなんとも心強いこと!

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2012.03.31

フォークロア

回帰への衝動

フォークロア
そしてそれを求める放浪
文明への批判

ふたつの相容れない方向

同化と
アイデンティティ

自然の中に見いだす歓びは

ミュージシャンの指先と

シンガーの喉元に宿るもの

それは手法でありソウル

それぞれのソウルたち

正しいところへ回帰して

主要な脈動を感じよう

そして

クロイチゴの花の香とともに

永遠の一瞬を共有しよう

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2012.03.05

世界中が声を潜めるこの夜に!


Agemasu


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2010.06.17

暑いね 雨だね 嬉しかろうね

Tuyutuyu

暑いね 暑いね 
ああ 雨が 降ってきたね
もうすぐ 雲の上だね

雲の上は いいよね
おまえは ずぶん自由だね
なのに どこが そんに 切ないのだろうか

その長い 反対のしっぽかね
だったら そんなもの とっちまったら
いや それを とってしまったら
なにもかもだね

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2010.06.16

花は花を伝承する(百合が咲きました)

Yuriyuri

次に収まろうとする線があり
型があり
くせがあり
その線はまた次の線を要求する

花の内側には花があり
それらの花びらは
複合的に自らになり
見えない花びらが
次の刹那を形成し
発見されるのを
ただひたすら待っていた

闘いと死の矛盾のなかで
花は花を伝承する

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