2005.11.08

ポップアートと恋愛小説

第二次世界大戦がはじまって、芸術の舞台はパリからニューヨークへと移った。パリで活躍していたアーチストたちが次々、ニューヨークへと移住しはじめたからだ。かつて風景画といえば、パリの裏町か郊外の田園風景であった。しかしニューヨークに移り住んだ彼らにとってそれは摩天楼の風景であり。スーパーマーケットに並ぶキャンベルスープの缶であり、ミッキーマウスが登場するコッミクであったりそして、マリリンモンローが登場する映画であった。彼らは、そんな風景を描きはじめた。そして奇妙な絵画が出来上がった。はたしてそうやって出来た絵は絵であるのか? 誰も彼も問いはじめた。いったい絵画ってなに? とこうなる。絵を描く意味が急にクローズアップされた。そしてそれはおそらく、絵画の要素のひとつ一つを突き詰めて行く方向に向かったのだと思う。例えば、フランク・ステラに代表されるようなミニマルアートに。あるいはジャクスン・ポロックに代表されるような、抽象表現主義に。そのほかにもあるかもしれない。色や形だけの面白さを追求し、その他の意味が介入することを拒絶するとどうなるのか? 絵画は実験をやめなかった。それがコップの中の嵐と呼ばれるような、行き詰まりを呈した。描く楽しさはどこへいった? そこから本当の意味の絵画は? という具合に、今まさにこれからこそが絵画にとって新しいステージなるのだと思われる。

それをふまえて、現代の恋愛小説のことを考えると、それと似通っていて非常にわかりやすいのではないかと思ったのである。ごひいきにしているある人が今、短編恋愛小説を毎日書いている。最近、それを読ませてもらっている。時代とともにもちろん恋愛のスタイルも変わる。かつて田園風家を描いていた画家たちがポップアートの作家たちのように、彼らにとっての恋愛を描くようになった。当たり前だけど。でもそれは当然、ポップアートの作家たちのように「それははたして小説なのか? 文学なのか?」と批評にさらされることになるのだ。確かに新しい、例えば彼女がだと思っていた人が実は人妻だったり。あるいは女性専用車両で見つけた同性愛とか。これからの恋愛の新しいスタイルはいくらでもある。

ちょっと、考えてることと、書くことがずれてきそうなので、この続きは、もうちょっと考えてから書くことにする。

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2004.07.04

辻仁成『愛はプライドより強く』を読む

「考えることが僕の全ての始まりだだから」というこの言葉がこの小説のキーワードか、何回も登場する。
かつて同じレコード会社で働いていた二人、結婚するにはどちらかが会社をやめなければいけない。
そして、主人公ナオトは自分よりも会社に貢献している彼女・ナナのことを考え、小説を書くということで会社を辞め同棲生活にはいるが、結婚にはなかなかいたらない、それどころかだんだん二人の仲は微妙になってくるのだった。小説を書くと言うことはつらいことだ。でもそれはおそらくナオトにとっては逃げられない宿命だったに違いない。作者あとがきに、「恋愛をするには力がいる。全部の力を振り絞って向かい合わないと、本当の恋も手に入りにくい。知人のSは、一人の女性を口説くために、ホノルルマラソンを完走した。中略…ゴールで待つ彼女が、倒れそうになりながら走って来る彼の姿を見てどう感じたかはぜひ想像していただきたい。そんなふうに愛される女性は幸せだと僕は思った。たった一人の女性に向かって、ひたむきにラブソングを歌うように、僕はこの恋愛小説を書いた」とあった。

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2004.06.26

『愛に関する十二章』を読む

 今日は、五木寛之氏の『愛に関する十二章』を読んだ、面白くて半日で全部読んでしまった。
 書評というのはそれ以上上手く表現することが出来ないので苦手だ。しかし、その目次を紹介すると、第1章 自分を愛する─ナルシシズムが教える愛のレッスン─、第2章 同姓を愛する─その愛情により深いものがあるかどうか─、第3章 家族愛─この振り払っても振り払ってもついてくる情─、第4章 人間愛─慈しむ心と悲しむ心と─、第5章、小さいものへの愛─つらい現実から、一瞬目をそらせる隠れ家のような愛─ 第6章 恋愛─恋と愛という二つの核を持つ楕円形─、第7章 仕事への愛─仕事がもたらす生きている手ごたえ─、第8章 性愛─万物生成の源─、第9章 物への愛─人間の言葉を理解する物たち─、第10章 言葉と愛─言葉に託された愛の形─、第11章 静かなる愛─肉体と精神がつながる新しい恍惚─、第12章 新しい愛の形─「第三の性」はなにをもたらすのか。

 この目次を見ただけでその内容が充実しているのがわかる。1章ごとに興味深い話があり、すべて紹介すると、全部写経しなくてはいけない。たとえば、第3章の家族愛。『どんな冷酷な仕打ちにもめげない愛』という小見出しがついていて、こんな話が載っていた。
 
 少年保護施設から一時的に親元に戻された子どもが、実の母親から摂関を受けて、体中に傷をつけて帰ってくることがよくあるそうです。そのとき、施設の人が「お母さんに叩かれたの?」と問いただしても、首を横に振って、「そうじゃない、お母さんは優しかった」と言い張ることが多いといいます。全身アザだらけになり、ときには死にいたるような摂関を受けてきた子どもがなおも母をかばう、その背景に一体なにがあるのかということを考えざるをえません。そこには憎悪とか悪とか道徳の退廃があるだけでなく、複雑に屈折した現代の家族の強い愛情というものが見え隠れするのです。

 そして『小さいものへの愛』という第5章ではアウシュビッツから奇跡の生還をした精神科医のフランクルの書いた『夜と霧』が紹介されていて、五木氏がフランクルに会いたくてアポイントを取ったがフランクルが病気のために叶わなかったこと、そしてその後亡くなられたことが書かれていて、そのときに聞いてみたかったことがあると。それは「極限状態におかれたとき、人はなにによって生き延びることができるのか」ということであると、五木氏は書いている。さらに、収容所でのフランクルの体験が紹介されている。

 ある日労働で疲れ果ててぼろきれのように、バラックの土間に横たわっていたとき、一人の仲間が転がるように飛び込んできて、「夕焼けがすごく綺麗なんだ、早く点呼場まで来い」と言う。みんなが急いで出て行くと、西の空には幻想的な色調の雲が燃え上がるような夕焼けの中から浮かび上がっている。その下には対照的に荒涼とした灰色のバラックが影を作っている。水溜まりは燃えるような空をうつしている。その光景を見た数分の後、その中の一人がこう言ったそうです。「世界って、どうしてこう綺麗なんだろう」フランクルはこのように、夕日に魅せられて、眺め入るタイプの人が、かえってアウシュビッツを生き抜いたといいます。中には、夕日が美しかろうが自分には一切関係ないという人たちもいたのですが、その人たちのほうが、先に倒れていったと報告しています。

 第十一章は更に発展した形で短編の『サイレント・ラブ』とい本になってます。ポリネシアン・セックスというものを紹介され、グローバルスタンダードから離れて新しい愛の形を提案されてます。

 そして第十二章、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を、生殖を目的としない性のあり方として「第一の性」だとすると、その後のウーマンリリブ運動に火をつけた、ボーヴォワールが唱えた「第二の性」。そして、今、第二の性によって解き放たれた女性と柔軟な考えを身につけた男性がともに喜びを得る性のあり方を考える、「第三の性」を提案する。

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2004.04.07

かっこよく見せてよね

「悲しさは
かっこわるいに
決まってる」
「だったらかっこ
よく見せてよね」
(高田ライオン)

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悲しみとかっこわるさと

「悲しみと
かっこわるさと
どっち取る?」
「ほんのすこしの
悲しさがいい」
(高田ライオン)

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君どうするの?

「かっこよく悲しんでよね あなた」って彼女に言われ君どうするの (高田ライオン)

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2004.01.06

下の記事まとまらないのでしばらく中止

にします。
もうちょっとあたたまらないとかけないかな_。
申し訳ありません。

ただ、こんなこと考えていたという印に残しておくことにします。

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2004.01.05

顔も声も聞いたことのない人をどうして愛せるの?vol.1

TV「北の国から、遺言」のなかで、竹下景子の息子が携帯電話を使ってメール友というのかな_、メル恋人というのかな_、を家で待ってるていうシーンがありました。それに対して親の竹下景子や黒板五郎や地井武男が非難する。「顔も声も聞いたことのない人をどうして愛せるの?」と言って地井武男なんか彼の携帯電話を川に投げ捨てるわけです。そのドラマを見ているときは、確かにそうだと自分も思いました。確かにそういう言い分も一理あるには違いありません。でも最近の自分の体験から、それはすこし違うのではないかと思いはじめました。
ちょっと続きは、寝ながらよく考えて、あした上手くまとめようと思ってます。今日から仕事です。
1月1日から仕事いきたくないな_って、ぷれっしゃ_かかってました。今日を乗り切れば今週1週間は何とかなるだろう。そしてさらに来週1週間凌げばさらに1カ月は何とかなるだろうと思います。その先は分かりません。とにかく今日はもう寝ます。

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