2007.08.12
2007.07.22
北京でのある一日
午前中は、丁民先生を囲んでの座談会があり、「日中国交正常化と周恩来の思い出」といったテーマで、お話を伺った。難しいことは分からないが、1972年の正常化以前にも日中国交正常化の動きがあって、吉田首相の頃からの話や前年・1971年の第2のニクソンショックの事、また関連する中国と日本の事情等々、簡単に時系列的にお話しくださった。アメリカのベトナムの泥沼から抜け出したかったという事情、またはソ連に対向するための日本との関係の修復、といった事情が日中正常化の背景にあった事など。まとめは周恩来首相の性格、生き方および中国の外交姿勢などにもお話が及んだ。周恩来外交の特徴は、誠実な人柄をベースに友人をつくる外交を展開したこと。民間の往来を歓迎しwin-win、言わばソフトパワーという懐の深い外交を展開された。そして彼の信念としては「イデオロギーは強制できない」という考え方がベースにあったということをお話くださった。その後2・3質問が飛び交い、昼食となった。植林のための壮行会といった感じで、全青連の偉い方々と会食した。その後、天安門広場や故宮を観光する。

天安門広場は広い。観光客もたくさん。
2007.04.22
インスタレーション

昨日、数十年ぶりに現代アートのパフォーマンスを見に行って来た。今はパフォーマンスとは言わずにインスタレーションと言うのか? 彦坂尚嘉+歌謡ミニマルミュージックバンドの奇怪な行為と音楽。フロアーに並べられた100本の牛乳瓶を、今まで歌謡曲を演奏していた作者・彦坂尚嘉氏とバンドのメンバーがハンマーで次々と叩き割る。そしてまた演奏に。しかしその演奏は突然、同じところを繰り返したり、観客に拍手を強要する。その手拍子に神が乗り移ったように狂う。そして、カンダーリしたような人物が二人が登場してガスマスクのようなものに叫び続ける。それはホースで赤い巨大なトマトのような風船に接続されていて、叫び続けるたびに大きくなる。最後に彦坂尚嘉氏が下着姿で登場。バケツ2杯分のトマトを被る。観客は飛び散るトマトをさけるため、トーメイのビニールを頭からかぶり、観劇? する。
最後に彦坂尚嘉氏が「越後トリエンナーレ」がみんな一つの方向に向かってしまったことへの反動だと述べる。イラクでは自爆テロが、個人では銃の乱射事件。体制に対しての反抗という意味のようなことを述べた。なるほど。たしかにグローバルスタンダードやアメリカに対する反対はあるのだろう。おどろおどろした、非科学的、論理的には納得できない情動が人間にはあるにはちがいない。表現としては、たとえば土方巽や大野一雄がやった暗黒舞踏なんかとどう違うのだろうか?
2007.02.25
老人宣言とは?
NHKをみてたら、我らが時代のヒーロー・横尾忠則氏の番組がやっていた。「人間ドキュメント 横尾忠則・70歳のY字路」という番組である。今年70歳になるという氏はとても元気そうに見える。20代30代で唐十郎や寺山修司の芝居のポスターを描いて一世を風靡し、怖いもの無しだった。40代後半でそれまで活躍していたグラフィックデザインの分野から突然画家に転身した。50代、60代の模索の時代を経て、70代にしてやっと自分の本当に描きたいものに出会った。それは「Y字路」絵だ。転身したきっかけはピカソの展覧会を見て「事件」を自分に招き寄せる道を選ぶ。それは彼の芸術観でもあり人生観でもあった。のんべんだらりとした日常を捨て、刺激的な日常にあえて身を置く。芸術もまたしかり。今まで構築してきた画面にあえて異質なもの、つまり破綻を描く。絵はそれら破壊によって新しい展開をみせる。とはいっても、何を描いていいのか、模索の時代は続いた。ちっとも楽しくない、何度辞めようと思ったかわからない時期があった。それに実生活面でも60代は病気のオンパレードだったらしい。そんなときでも基本は遊、そんな要素も逆に考えた。そうやって表と裏、光と影、その総合として今の70代があり、今ようやく本当に描きたいもの「Y字路」をみつけた。つまり老人宣言である。老人それは光と影の総合。やっと花が咲くときがやってきたというかれの宣言なのだとおもった。かっこいい。流石天才。目からウロコ。やはりただものではない。日常に風穴をあけるような事件よやってこい! と僕も叫びたくなった。でもあんまり大きな事件はちとこまる。あはは、やはり凡才なのかな?
2007.02.08
『半分それは』を聞いてみる
その子は会社にギターを持って来た。
ハードケースに入れて。
誰かが言ってた、
面白い変な会社。
それこそ望むところだ。
それは、6時過ぎにやってきた。
ミニミニコンサート。
社長が彼女の前にビールを飲みながら
陣取っている。
ギターの調弦がはじまる。
なんだなんだと皆がステージ代わりの
応接机の前に集まってきた。
恥ずかしそうに、なかなか歌わないが、
静かに始まった。
4拍子のアルペジオにのって。
「♪半分、それはサイレント
♪半分、それは道端に揺れる草の影」
歌われることを意識しないで
作ったので、詩の順番がかわっている、
そして語尾やいいましも。
それがまた面白い。
それになんて言っても
自作の詩が歌われるななんて
はじめての経験だ。
ほんと、フォークソングぽい曲だ。
もう何回か聞いたら自分も
歌えて弾けそうだ。どうもありがとう。
なんか勇気をもらったみたいな気がする。
そして、みんなも意外な
尊敬のまなこでその子のことを
見ていて拍手を送っているのだった。
そして作詞者の自分としてもちょっと
鼻が高いのだった。
音やその雰囲気を伝えられないのが残念である。
2006.12.10
アンリ・ルソー展
ザーザー雨が降るなかを世田谷美術館へ、アンリ・ルソー展を見に行って来た。こんな日によくもまあ、たくさん来ているものだと、人々の頭をナメながら鑑賞したのであった。それほどまでに人気があるとは知らなかった。密林のなかでミカンを食べいる猿の絵を初め数十点と素朴派の作家の絵や、日本において彼に影響を受けた人たちの作品が、ずらりとならんでいて面白かった。例えば岡鹿之助、松本竣介、小出楢重、有本利夫、等。なるほど、こうやって並べてみるとどの部分が影響を受けたのかわかる気がする。かつて藤田嗣治がピカソのアトリエで彼の絵を見せられ、「絵画はかくまで自由なものなのだと」と言ったという。また横尾忠則いわく「現代美術が捨てて来たすべてのものがここにある」と。なるほど。こんなにもルソーの影響を受けていた人がたくさんいたとは…。ポールデービスにだけ影響を受けていたのだと思っていた矢吹伸彦もルソーの影響を受けていた。また、特に日本画までもが…。全体をとおして感じたのは静寂。『月夜のカーニバル』に象徴される静寂。今回この作品は来ていなかったけれど「静謐な夢の時間」と言葉に置き換えてみた。
2006.10.30
ロシア・アバンギャルド
『ソーネチカ』にフランスから帰国したソ連の反体制芸術家の夫が描かれていた。物語では保守的なリアリズムの作家として描かれていたが、はたして世界的にその時代は、特にロシアではどのような美術が主流を占めていたのだろうか? たまたか今読んでる本が『20世紀の美術』。それによると、20世紀初頭、流れは大きく二つの方向に流れていた。一つはフォービスムから始まる表現主義的潮流、もう一つはキュビズムから始まり、未来派、シュプレマティズム、ロシア構成主義と繋がっていく流れだ。とくにロシアにおいて、その時代の代表的な芸術家はタトリンである。「第3インターナショナル記念塔模型」は螺旋状に上昇していくイメージで、科学技術と芸術とが調和した社会主義の未来の理想を歌い上げた。1929年にトロツキーを追放したスターリンが独裁的な権力を握り、ロシア・アバンギャルドは衰退する。1932年の共産党の決議によって、すべての芸術団体は解散させられ、その後美術は社会主義リアリズムとなって、ロシア・アヴァンギャルドは終わる。
2006.08.20
タンポポ団ゲリラライブ? (武蔵野ナイフ)in 井の頭公園投銭ライブ

武蔵野タンポポ団の再結成? なんて思わせる野外でのライブに行って来た。場所は吉祥寺・井の頭公園。夕方4時から始まる。出演者は、渡ゆかり? というか彼のお友達グループのシバ、いとうたかお、野澤享司、村上律、中川イサト、中川五郎、よしだよしこ、大庭珍太、ツトム・イサジなどなど。あともう一人、どうしても名前がわからないのだが、ドブロの名手。しょっぱなは『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』タンポポ団のテーマソングみたいな曲で、ジェシーフラーだったかの曲に誰かの詩をのせたもの。♪おいらをのこしてあの娘はいっちゃった♪ と歌う。大庭珍太さんがノッていて、つい自分も歌ってしまう。あとはそれぞれ2〜3曲ずつ歌う。かつてピピアンドコットのメンバーだったよしだよしこさんが、渡の「わたしはわたし」を全員でやろうと提案。女性陣が登場し、場は一気にもりあがる。いろっぽかたな〜。そして終わりにちかづくと、シバやペケさんの「淋しい気持ちで」や「この世に棲む家とてなく」、「生活の柄」で大盛り上がる。五郎さんははしゃぎすぎて、また弦を切ってしまう。とにかく歌の数々を聴いていただけないのが残念だが、いくつか写真をご披露します。




話は変わりますが、きづけばこのblogも読者の皆様に支えられて、アクセス100000を数えました。どうもありがとうございます。今後もよろしくね。100000を踏んだ方いらっしゃいますか〜。よろしかったらご一報ください。
2006.07.28
アメリカとホーボーと日本の場合
アメリカの映画とかにホーボーが良く出現する。最近見た、「ポーラ・エクスプレス」や「ジョー・ヒル」。自分のなかではアメリカの象徴だ。それは自由のシンボル、体制にたてつくかっこよさの象徴。ギター、フォークソング、旅、自由、気まま、貧乏。ビートの詩人達? 日本では山之口貘であったり、三頭火であったり。そんな人たちのことを歌にすると、なんとなく大げさな感じがする。そこで日本では自転車だ。決して車ではない。車はブルジョアだ。自転車なのである。そして工場に働く若者達。日常から抜け出すのは自転車、ヒッチハイクとあいなる。高田渡の「自転車に乗って」、ガンさんの「私の自転車」。彼らがフォークソングを歌う時、それはアメリカへの憧れだ。しかしそのままのコピーではなく、彼らの生活に即して意訳する。それで生まれた名作もある。だがそのアメリカの価値観は今…ゆらいでいる。イマジンを歌うのを禁止される地域もあるとか? 最近のネットニュースで知った。
2006.07.26
久々にブックデザイン
ブックデザインをしました。生まてから2作目。 アメリカ的価値観の揺らぎです。もう、書店に並んでいるよ。今回はカバー、表紙、本文の文字組からすべてデザインしました。内容はまだあんまり読んでないんだけど、9..11テロ後のアメリカ社会の価値観の変貌について。特に7章なんか面白い。21世紀の「ボーン・イン・ザ・USA」というタイトルで、ブルース・スプリングスティーンの歌を取り上げ、アメリカに生まれたことへの誇りとベトナム戦争に傷つく矛盾から、アメリカの価値観の揺らぎを抉るというもの。帯もあるんですが、帯がかかった状態はこちら。
2006.04.25
谷川さんの詩を発見
先日、こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』という漫画を読んだ。原爆をテーマにした漫画だ。そしてその後偶然、同じテーマを扱った谷川俊太郎さんの『その日ーAugust 6』という詩を読んだ。最初に、こうのさんの漫画を読んでいなかったら、きっと読み飛ばしていたにちがいないが、おかげでこの詩がスーッと入ってきた。著作権の関係でご紹介できないのだけれど、あ〜同じだ、漫画と詩の違いはあっても言いたいことは同じじゃないかと思った。
谷川さんは名前だけは通っているけど、実はたいしたことないんじゃないかと、すこし馬鹿にしていままで敬遠してきたんだけど、この詩を含め最近の詩集を読んでみると、さすが言葉の魔術師! という感じがした。であるが、ちゃんと読む者に意味をしっかり伝えてる。詩というと、自分のも含めてあまりにもその人の個人的なところへややもするとおちいりそうになって、読む者にとっては意味がいまいちわからないというのが多い。谷川さんの詩はその辺をクリアしてるし、言葉の組み合わせがシュールでありつつリアリティがあって、しかも日常を超えたある種のムードがある。やはりたいしたもんだ。
2005.12.11
シモーヌ・ヴェイユと『池袋ウエストゲートパークII(少年計数機)』のミナガワの生い立ちと俺の仕事について
新聞のコラムにこうあった。フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユは25歳の時、労働者の実態を体験したいという望みから、あえて未熟練工として工場で働いたらしい。しかし四六時中、監視され罵倒される環境は、自身を「奴隷」と思わせてしまうほど、彼女の精神を変化させた。それでも働き続け、工場体験を終えた翌年、「わたしは、やがて自分がなんとか自分を取り戻せる日まで、こういう生活を耐え忍ぼうと自分で誓いを立てた」とある婦人に手紙を書いている。
『池袋ウエストゲートパークII(少年計数機)』の『水のなかの目』という章に出てくる主人公を守るボディ・ガードのミナガワが自身の生い立ちを語る部分がある。彼のニックネームは「肉屋」。地方の街で、子だくさんの漁師の子として生まれた彼は、中学を卒業して隣町の肉屋へ就職した。朝一番で店を開け、昼間は店番、夜は店を閉めた八時から次の日に店に並べる肉をさばく。ボーナスが年一回でて、店主はスズメの涙のようなそのボーナスを払う嫌さ一心で小僧を徹底的にいじめ抜く。商売ものに傷をつけるつけるたびに、包丁の柄で頭をどやしつけられた。そんなこんなでも二年もそこで我慢したらしい。そしてボーナスを手にしたが、そのおかげで、小指がつぶされ、右目もつぶされたと。実家で、紅白歌合戦を見てると怒りが湧いて来て、店に戻ってその主人をフックに吊るして……。中略、それから家に帰って紅白の続きを見て、おまわりに補導されたときには正月になっていた。
今でも、それに近いことはそこらじゅうにあるに違いない。劣悪な労働環境と格闘し、「内面」では「自己の尊厳」を確立することは、誰人も侵すことができない。逃避しそうな自身を変えない限り同じことで悩まなければいけないし、今いる現実のあれやこれやが人生のすべてなのだ。な〜んちゃって。
2005.12.06
告白のスタイルとしての小説
今、読んでる小説のなかにこんなことが書いてあった。
「ねえ、なぜあなたたちのところに、ちいさな子どもまで集まってくるのかしら」
その答えはおれでもできる。京一の顔からは感情が消された。
「ガキどもには、モデルがない。身近なところに目標になる大人がいないし、夢も見せてもらえない。おれたちはモデルと絆を用意する。自分が必要とされている充実感、仲間に歓迎を受ける喜び。規律と訓練。今の社会では得られないものを、力をあわせ見つける」と。
今の大人たちが目標とされるかということではなくて、あの頃の自分の目標だった人のことを思い出した。ものごごろつく頃、気付いたら僕は世間からはみ出ていた。それでもはみ出ている人を目標にすることなら出来そうな気がした。たとえば、耳を切ったゴッホ、アル中のユトリロ、貧乏で死んだモジリアニ。そんなはみ出ていた大人たちを目標にして、今までなんとかここまでやってこれたような気がする。
小説をかくということは、告白だ。あらゆる種類の告白だ。自分のことを話すときの恥ずかしさ。なのでそれは物語によって語られる。そんな様式なのだろう。
あたりまえか。
2005.11.26
現代建築とファッションとデザイン
最近、リフォームや変わったお家拝見系のTV番組バヤリである。なんかひがみではないけれど半分嫉妬、半分興味深々といった感じで、番組を楽しんでいる。一見、大量生産、型にはまったレデイ・メイドのほうが経済的に優れて、我々シモジモの者には馴染みが良いように思えるのだが、どうもそうではないのではないのではないか? なんて感じさせてくれるところが、最近のトレンドな住宅の良い所だ。そして女性の建築家の登場は、生活者の立場に立った細かい気のきいた観点からのデザイン、今までにない新鮮な住空間として魅せてくれた。いままで男性の独壇場ではあったのだが、あまりにも経済的な論理のもとに造られていた住宅建築を建て主の元に引き戻してくれたという理由で画期的な事だと思う。まさに男性、女性の建築家を問わず、そういった職能の人にとっては今が、一番花開く時期なのかと思う。
しかし、そこには言葉のマジックがあるような気がする。デザインという立場から考えるならば、様々な厳しい条件を与えれたほうが実は簡単にデザインがしやすい。建築でいえば、たとえば敷地が狭い、縦長、隣家との境界が狭い、敷地が坂になっている、などの条件があった方が実はデザインがしやすいというか、必然的にそうならざるを得ないデザインになるのだ。そのマイナスな要素のクリエイターはどうやってそれを逆手にとってポジティブな要素に変えて行くのか? といったことがそのデザイン要素に与えられ、その分がデザインする側にとっては楽しみになる。それを、言葉の魔術によって、現代生活の欠点とトレンドな生活スタイルなどといったキーワードによって建て主に納得させてしまう、という魔法が一役買っている。といったら言い過ぎだろうか。
「ライフスタイル」なんて言葉によって祭りあげられた、「家」とは何ぞや。それはおそらくファッションの延長上にある。自分と他人を区別するモノして現代人は、ブランドの洋服や装飾品、乗る車、行きつけの店、その延長上に「家」が存在するようになって来た、といったところだろうか。先ほども、言ったようにデザインは条件を与えられたほど、実はデザインしやすい。この域を出て、そういった何の制約も何もないデザインこそ難しく、それを超えたデザインほど実はオリジナリティが高いと思っている。そんな建築ブームになるなら、手を叩いて歓迎したい。しかし現実は、本文があってタイトルがあるというようなデザインをすると、それはおかしいから変えてくれと言われる。映画でもいきなりストリーがはじまって、ある程度してからタイトルが出てくる「そんな感じにしたかった」と言葉を添えるとはじめて理解してくれたりするのだ。我々がそんなことを超えた建築家の自由なコンセプトによって建てられた光に浴するのはいつのことなのだろうか。
2005.11.18
ふーらり、ふらふら、ポタリングシリーズvol.5 中野のゲルニカ
普通、落書きは上手くない。上手くないところが、落書きの魅力なのだが、これは落書きを超えている。URLも書いてあったが、記録するのを忘れてしまった。
2005.11.13
「自由の女神」と「結(ゆい)」
『自由の女神』と『結』はどちらが新しいのだろうか。
青森県大畑村に『木野部海岸』というところがある。大畑村には昔、岩が適当に点在する美しい砂浜があった。かつて子供たちはそこで遊び、捕れる魚もその浜のおかげで潤い、静かで豊かな漁村の暮らしがそこにはあった。高度経済成長時代、イカ漁がその村の覇権を握った。イカ漁が暮らしをもっと良くしてくれるのではないかと村人たちは幻想を抱いた。そしてその覇権は、漁港をコンクリートで固め、大きな船が出入りできるように、深く掘ったり、港を整備した。それには飽き足らず、『木野部海岸』にコンクリートの構造物を造ったのであった。皮肉にも、港を新しくしはじめた頃から、イカ漁は振るはなくなり、船はイカを求め、遠くは外国まで遠征するようになった。そしていつのまにか村はさびれていた。そして村人たちは失ったものの大きさに気づいた。たった150メートルの海岸ではあるが、国の助成で造った建造物を壊し、元の美しい海岸に戻そうという運動が起こった。法律的な問題も乗り越えて、村人たちはたった150メートルであるが、かつての美しい『木野部海岸』を取り戻そう、と試みはじめたのであった。
時をおなじくして、ユングの集合無意識ではないが高度経済成長以来、大量生産、大量消費、そしてそのために製品のサイクルをわざと短くして物を売る、そんな社会に限界を感じ、新しい試みをはじめている人たちが沢山出て来た。
古い城よりりっぱな棚田の石組みの山口県、防府市。田んぼと林業を営んでいる人が紹介されていた。彼はかつて警察官をし、高度経済成長時代、一儲けしようとその警察官をやめ、レストラン経営をはじめたがまもなく倒産。そのときに、実家が持っていた田んぼや山林が荒れ果てているのに、気づき山や農作業の生活に入っていった。山に入って、木の枝や下草を刈るつらい毎日。そこで彼は考えた。飼っている牛6頭をその山林に放してみるとどうなるだろうか。すると牛は野山を駆け回り、下草をほとんど食べ尽くした。そして牛が落とした糞は山や農地を肥やしていった。牛そのもは、急な山などを駆け回るので、丈夫になり飼料など必要としなくても、長生きをし、丈夫な子供を沢山産む。しかも食べ尽くした下草の跡には毒性の強い「しきみ」が残る。そのしきみは仏前に供える花として出荷して20万の儲けになるという。自然との共生を試み、成功した例だ。その他、アイガモ農法とか、これに似たような試みが今、トレンドなのだ。
そして、自分が生まれた町の一つ山を越えた村、秋田県、上小阿仁村の話。マタギの里として知られる人口3千ちょっとの小さい、小さい過疎の村で、昔からの『結』という部落の共同体みたいな組織、それをもっと強固にして厳しい現実を乗り越え越えようとしてる人々が紹介されていた。村自体は、いくつかの町と合併の話があったらしいが、それを拒否したというのだ、番組は、そのときの心境などを村長さんにインタビューした。村長さんは語る。「村には、顔や名前が知らない人は一人としていない」それが合併したとなると「顔も名前も知らない人がたくさんできてしまう」。確かにそれは小さな、小さな過疎の村の裏側を観た最高の長所であり、そこに村のアイデンティテー、誇りを感じているのだ。かつて村にには秋田杉を加工する製材所が10数カ所あったという。外国から安い建材がどんどん輸入され、樹齢100年を超える秋田杉ではあるが、需要がめっきり少なくなり、今では製材所も3カ所しかなくなったという。そんな厳しい現実を村人たちは昔からある『結』という共同組織の仲間意識を更に強固にして乗り越えようと云うのだ。現実には、その100年以上も育っている秋田杉の宝の山を捨てないで、助け合って現実を乗り越え、守って行こうとする新しい運動なのだった。自然は財産なんだというマタギの伝統的な自然との共生を踏まえた考え方なのであった。そういう考えは一見、現代人が一時、夢見ていた「自由」の獲得とは逆行しているようにみえるが、実はそのような新しい潮流が世界的に巻き起こっているのだと評論家の内橋克人さんは云う。
以上、昨日やったNHKのETV特集「長ぐつの旅・菅原文太(時代に逆らう反骨の男たちを訪ねる3千キロの旅)」をまとめただけのこと。とても興味深い番組だったと思う。それに偶然総合でやっていた番組「ユリばあちゃんの岬」で、ユリばあちゃんが、知床岬の突端に座り、オホーツクの海を観ながら「ここには鹿が新しい命を育む姿や豊かな海や海岸の自然、恵み、なんでもある。だから他になにもいらない。友達だっていらない」といった言葉が重なりあってしょうがない。
「自由の女神」と「結(ゆい)」。この二つの言葉が、唐突ではあるが僕の頭の中にイメージとして浮き上がって来たのだった。
2005.11.08
ポップアートと恋愛小説
第二次世界大戦がはじまって、芸術の舞台はパリからニューヨークへと移った。パリで活躍していたアーチストたちが次々、ニューヨークへと移住しはじめたからだ。かつて風景画といえば、パリの裏町か郊外の田園風景であった。しかしニューヨークに移り住んだ彼らにとってそれは摩天楼の風景であり。スーパーマーケットに並ぶキャンベルスープの缶であり、ミッキーマウスが登場するコッミクであったりそして、マリリンモンローが登場する映画であった。彼らは、そんな風景を描きはじめた。そして奇妙な絵画が出来上がった。はたしてそうやって出来た絵は絵であるのか? 誰も彼も問いはじめた。いったい絵画ってなに? とこうなる。絵を描く意味が急にクローズアップされた。そしてそれはおそらく、絵画の要素のひとつ一つを突き詰めて行く方向に向かったのだと思う。例えば、フランク・ステラに代表されるようなミニマルアートに。あるいはジャクスン・ポロックに代表されるような、抽象表現主義に。そのほかにもあるかもしれない。色や形だけの面白さを追求し、その他の意味が介入することを拒絶するとどうなるのか? 絵画は実験をやめなかった。それがコップの中の嵐と呼ばれるような、行き詰まりを呈した。描く楽しさはどこへいった? そこから本当の意味の絵画は? という具合に、今まさにこれからこそが絵画にとって新しいステージなるのだと思われる。
それをふまえて、現代の恋愛小説のことを考えると、それと似通っていて非常にわかりやすいのではないかと思ったのである。ごひいきにしているある人が今、短編恋愛小説を毎日書いている。最近、それを読ませてもらっている。時代とともにもちろん恋愛のスタイルも変わる。かつて田園風家を描いていた画家たちがポップアートの作家たちのように、彼らにとっての恋愛を描くようになった。当たり前だけど。でもそれは当然、ポップアートの作家たちのように「それははたして小説なのか? 文学なのか?」と批評にさらされることになるのだ。確かに新しい、例えば彼女がだと思っていた人が実は人妻だったり。あるいは女性専用車両で見つけた同性愛とか。これからの恋愛の新しいスタイルはいくらでもある。
ちょっと、考えてることと、書くことがずれてきそうなので、この続きは、もうちょっと考えてから書くことにする。
2005.10.10
佐伯祐三展を観てみた
ご近所さんの練馬区美術館で『佐伯祐三展』をやっていたので行ってきた。その前に区民会館で、NHKの『日曜美術館』などによく出演している有名な美術評論家である粟津則雄先生が、講演会をしていたので聴きに行って来た。内容は西洋と日本の自画像というジャンルの歴史を紹介しながら、佐伯の自画像を含めて話され、佐伯のやった仕事に迫ろうというもの。西洋ではレンブラントからはじまって、印象派やセザンヌやゴッホ、ゴーギャンといった人の自画像を紹介され、網膜に映った光の印象だけを追い求めた印象派の手法だけではとても表現しきれなかった、画家たちの様々な内的衝動をその中にみつめ、時代として印象派の洗礼を受けざるをなかった西洋の美術史とそれの単なる模倣だけでは済まされなかった日本の自画像のばあいを紹介された。もちろん佐伯祐三もそんな歴史のなかに存在するのだが、特にパリへ渡って、モーリス・ド・ブラマンクに出会って、「アカデミック」と非難されてから、自分を自由に解放していく方向に向かう。それは単にフォービスムへの傾倒といったものではなくて、独自のスタイルを日に日に少しづつ求めて変化し、そしてまた自分を見つめて行くという、衝動の瞬間であったというのだ。確かに佐伯は31歳の若さで死んで行く。たとえば、あの有名なユトリロでさえ、晩年の絵は画一的になっているけど、佐伯の絵は一枚一枚、確かにほんの少しづつ変化していく。似たようなパリのモチーフを描きながら、一つとして同じ絵がない。初期の作品では、荒野をペインティグで荒々しく描いた作品が好きだ。空が建物が、原っぱの木々がうねってまっすぐ立っていない。まるで生命を持っているようだ。後期になるとそれはパリのレストランの窓のメニューの文字であったり、住まいやビルの壁のシミだったり。暗い色調の中にも都会的なセンス。黒や茶の使い方が非常に上手い。とにかく、練馬区美術館があんなに混雑しているのをかつて見たことがなかった。それぐらい人気のある画家なんだなと改めて思った次第である。
2004.09.01
山本容子さんの授業

石神井公園の風にゆれる柳に秋がほんのすこし忍びよる
NHKの番組で有名人が母校を訪れて2日ぐらい授業をするというあの番組。面白くてつい見てしまうのだけれど、大分前の山本容子さんの授業は印象に残った。その授業のなかで、ご自分の作品(かみそりの刃を画面いっぱいにたくさん描いた版画)を生徒に見せて、説明していた。「この絵はピカソに勝とうと思って描いた。ピカソも決して描かなかったものを描くことでピカソを超えようとした」と。そして生徒たちに、「だれも今まで描かなかったもの、だれも見向きもしないようなものを描こうじゃないか」と呼びかけて、授業は盛り上がりをみせる。生徒たちの目の輝きが断然違った。もう気分は一流アーティスト。やる—やるという感じ。
かたや昨日読んだ川上弘美さんの「センセイの鞄」、これもやはり誰も見向きもしないような一杯飲み屋での純愛物語。この二つに共通するのは、だれも見向きもしなかった、あるいはだれも見ようとしなかったもののなかに、あるものを見ようとする眼だ。見えるものを見えなくし、見えないものに形をあたえることが使命の分野があるのだなと思った。













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