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2012.09.18

海を越えたセッション(Kathleen Macinnes & Sarah Jarosz)



美しい曲です。
さまざまな感情にせよ、いまだ形さだかならぬ気分にせよ、奥深い、きわめて秘やかなぼくらの内面の状態というものはすべて、風景や季節、大気の状態 や風のそよぎとじつに不可解きわまりなく絡み合っているのではないだろうか。高い馬車から君がとびおりるときのきまった動作、星なく蒸し暑い夏の夜、玄関 の湿った石のにおい、噴水から君の手にほとばしる氷のような水の感触──数限りないこうした地上の出来事に、君の心の全財産は結びついている。心の昂ま り、憧れ、陶酔のなにもかもが。いや、結びついているどころではない。生命の根をしっかりと張り、一体となっているのだ。だから、もし君がメスでこの地面 から切り離してしまうと、それは縮み萎え、君の両手のなかで消え失せてしまうだろう。自分自身を見いだそうとするのなら内面へおりてゆく必要はないのだ。 自分自身は外部に見いだすことができる。外部に。ぼくらの魂は実態をもたない虹に似て、とめがたく崩れゆく存在の絶壁のうえにかかっているのだ。ぼくらの 自我をぼくらは所有しているわけではない。自我は外から吹き寄せてくる。久しくぼくらを離れていて、そして、かすかな風のそよぎにのってぼくらに戻ってく るのだ。実にそれが──ぼくらの「自我」なるもの!
(ホフマンスタール、檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』岩波文庫、129ページ─130ページ、詩についての対話。)より。

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