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2007.04.08

『ロング・グッッドバイ』を読んでみた

訳者のあとがきに、朝起きたら腕が3本になっていた人間の物語を書くとしたら、中略、つまり腕が1本増えたために主人公がとる行為と、その行為が招聘するであろう別の行為との相関性の中に、腕が増えた理由理由も(自発的に)暗示されていくべきだというのが、チャンドラーの考え方なのである」とあった。

この1週間、朝起きて出勤するまでのわずかな時間、電車の行き帰り、お昼休みのわずかな時間、帰宅してから寝るまでの一瞬。仕事をしている以外のほとんどの時間をこの本を読んで過ごした。一体犯人は誰? 事件はどうなっていくのがだろう? 全くストレスのたまるハードボイルド探偵小説である。主人公フリップ・マーロウは、様々な登場時分物に皮肉な憎まれ口をたっぷりと口にはするが必要最低限の話の筋道しか言わないように思う。なのでそのことついて、マーロウがどう思ったかという説明もない。ただ事実を突き放して客観的に進める。なのでそこには多くの疑問が残る。その疑問を読者は解決しようと先へ読み進めるのだ、なかなか核心部分に触れないもどかしさがある。ようやっと後半の後半になってその理由が納得できるといったように書かれている。主人公フリップ・マーロウについても自ら口にする憎まれ口以外に彼自身を語る言葉は少ない。なのにフィリプ・マーロウという探偵、あるいは今回もう一人の主人公、テリー_レノックスの個性が浮かび上がってくるのはなぜだろうか。とくにこの物語では、テリー_レノックスに対するフリップ・マーロウの友情がほんわか、くっきり浮かび上がっているように思う。最初の引用のように訳者・村上春樹は自我と言うものをブラックボックスとしてとらえ、それを「仮説」あるいは「相関性」によって、積み上げそのことを周辺から語っていくという手法がチャンドラーの独自性だと語っている。なるほど。村上春樹の小説にもたしかにこのような手法をとってると思われる作品がいくつかある。まあ、とにかく久々に存分にハード・ボイルド探偵小説を堪能させていただいた。スペンサーが出るロバート・B・パーカーにも似ていると思ったのだが、パーカーはチャンドラーの崇拝者であった。とあった。なるほど納得。

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