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2007.01.21

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドとコントロールドラマ

ある人のおすすめで読み始めたのが、ガッツリはまってしまった。「世界の終わり」というおそらく人間の心の寓意「ハードボイルド・ワンダーランド」という、おそらく現実世界の寓意を交互に語り継ぐ。朝晩の通勤の電車だけでは足りず、出勤前のわずかな時間や、お昼休みのほんのひとときまで占領されてしまうほど、グイグイとひきつけられる。はじめはワンダーランドの方がその物語の主導権を握って進行して行くのだが、「世界の終わり」はワンダーランドの主人公の垂迹である影とての世界の物語なんだということが次第にわかってくる。ワンダーランドの世界ではいつから始まったのかいつもの荒唐無稽な不思議な世界のはじまりである。穴、暗闇へと読者を誘うが、「計算士」と「記号士」、つまり世界はどっちが善でどっちが悪なのか決して単純な二極化で捕らえることは出来ないということを案じさせるような上手い話。その根拠があかされるのは「世界の終わり」の心の世界を暗示した物語に秘されている。と思われる。現実の世界は具体的にどんな現実と対応しているのだろうか。それは読む人によって違う。読者は読者それぞれ読者なりの物語の歴史をもって、この物語と退避させながら読むはずだ。実際この自分も、この1週刊の現実の出来事のなかで、この物語を読んできて、その対比でそんなことも確かにあるある、と荒唐無稽なこの物語とシンクロさせながら読むことになった。「世界の終わり」の自然描写は心のありようを木や建物、川、施設、気候、住む人々などを借りて詩的に表現していて、うっとりとまたまったりと、「ハードボイルド」の冒険的なわくわく感のメリハリ。そしてたまたま、僕の現実の体験としての「コントロールドラマ」。人は人をコントロールすることによって、その人からエネルギーをもらい力を得たように思う。反対にコントロールされる方はエネルギーを奪われると感じる。エネルギーそのものは、行ったり来たりするだけで減りもしないし増えもしない。ゆえに限られたエネルギーをめぐって対立を繰り返す。いつになったら人間は人間からエネルギーを得ることを辞め、エネルギーそのものからそれを得ることに気づくのだろうか? そんな事を感じた1週間。現実のドラマとワンダーランドと世界の終わり。この本はそんなあらゆる読者のあらゆる問題を対比させたソリューションテキストのように読む事ができそうに思う。

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コメント

きのうfaceで、垂迹みたいなコントロールされた。
そしてダーランまで木とか主導しなかったよ。

投稿: BlogPetのponnta | 2007.01.23 11:57

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