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2006.09.25

判で押したような毎日

毎日同じ時間に起き、同じ電車に乗って会社へ行く。ここのところは、同じ時間に退社して、家に着くとすぐ走る。とりあえず78日間続いている。特に体重に変化は無い。なので当然ダイエットのモチベーションは上がらない。ご飯を食べて、風呂に入り、気が乗ればblogoの記事を更新する。と、大体は毎日こんな具合。だからと言って、必ずしも悪い意味ではない。何かの記事にイチロー選手の体調管理のことが書かれていた。体調を維持するため、6年間、毎日お昼におなじ店の同じピザを同じ量だけ食べたという。たいしたものだ。判で押したような生活をしても、毎日、同じ精神状態であることはむずかしい。仕事でミスをしたり褒められたり、けなされたり、むしされたり、いろんなことがある。それを何事もなかったように、振る舞うのはなかなか大変だ。仕事はチームワークが基本であるから、出来るだけ周囲に不快な気にさせないように気を使っているつもりである。毎日毎日カタツムリのように前進するしかない。それが時には情けなくなることもある。まあ、だいたいこんな平凡な日常を送ることはやぶさかではないが、ただ一つ休日の過ごし方に不満が残る。

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2006.09.22

王様の読書

王様は読書が好きです。ですが王様はそんなにヒマではありません。こう見えても忙しいんです。王様には王様の仕事があります。それで王様は仕事へいく移動の電車のなかで本を読むことにしました。長編に挑戦中です。いま主人公がサロンに出入りし老ピアニストが作曲したソナタに惹かれてゆくところが描かれています。夢中になって、降りるところを間違えそうになりました。そしてマックフルーリーへ行ってデザートを食べました。
Dokusyo


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2006.09.21

王様の嘆き

王様はとりあえず、今日もマラソンをしてみました。痩せてるわけないと思いつつも、ほんの少し期待を抱いて体重計に乗ってみました。「あ〜あ、やっぱり、マラソンなんかやってもな〜」なんてがっかり。「でも今日の救いは、マラソンをしてる途中、キンモクセイの香りに包まれたことかな」なんて、無理矢理前向きに考えようとしました。
Taijyuu


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2006.09.20

王様のピラティス

王様は「三日坊主」と皆に言われないように、「せめて3日くらいは続けねばなるまい」と考え、仕方なしに今日もマラソンを続けることにしました。それでだけでは、つまらないのでピラティスなんぞをしてみようかなと、考えました。
Pirathisu


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2006.09.19

王様のマラソン

王様はもう一日、マラソンを続けてみようと思いました。
心持ちやせたようです。
Maraton


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2006.09.18

王様のお風呂

おとといは、山田うどんを食べました、昨日は王様のお風呂へいきましたが、太っているのが醜く思えました。そして、今日はマラソンをしました。

Ousama


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2006.09.17

顔が家

Kaogaie


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2006.09.15

家が顔

夜の散歩をするようになった。早めに帰宅できたときには息子を誘う。川沿いの「黄色い家」という名前を付けた散歩コースを歩く。家々の寝る前の、裏の顔が見えるのである。あの家には「顔の家No.1」の称号をあげよう、なんて、顔の家のコンクールを二人で開きながら、散歩する。と、「僕今日……」なんて、すこし心の奥を話してくれたりするのである。
Iegakao_2


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2006.09.04

ハーフムーン

Hanngetu_1最近の夜の散歩で出逢う、お月さん。奇麗なのでカシャリ。それから、ちょっと読みかけの本のエピグラフ。小説の冒頭に誰かの引用文がその本を暗示するように置かれているもの、それが“エピグラフ”というらしい。気にいった一文に出逢ったのでそのまま載せることにする。訳は気になるが、死後50以上経過してるので、まあいいかと思う。

さまざまな感情にせよ、いまだ形さだかならぬ気分にせよ、奥深い、きわめて秘やかなぼくらの内面の状態というものはすべて、風景や季節、大気の状態や風のそよぎとじつに不可解きわまりなく絡み合っているのではないだろうか。高い馬車から君がとびおりるときのきまった動作、星なく蒸し暑い夏の夜、玄関の湿った石のにおい、噴水から君の手にほとばしる氷のような水の感触──数限りないこうした地上の出来事に、君の心の全財産は結びついている。心の昂まり、憧れ、陶酔のなにもかもが。いや、結びついているどころではない。生命の根をしっかりと張り、一体となっているのだ。だから、もし君がメスでこの地面から切り離してしまうと、それは縮み萎え、君の両手のなかで消え失せてしまうだろう。自分自身を見いだそうとするのなら内面へおりてゆく必要はないのだ。自分自身は外部に見いだすことができる。外部に。ぼくらの魂は実態をもたない虹に似て、とめがたく崩れゆく存在の絶壁のうえにかかっているのだ。ぼくらの自我をぼくらは所有しているわけではない。自我は外から吹き寄せてくる。久しくぼくらを離れていて、そして、かすかな風のそよぎにのってぼくらに戻ってくるのだ。実にそれが──ぼくらの「自我」なるもの!

ホフマンスタール、檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』岩波文庫、129ページ─130ページ、詩についての対話。

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