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2006.04.16

耕さない田んぼ

 皆さんの住んでいらっしゃる、町や村に変わった田んぼはありませんか? 冬には水をはり、田植えの頃には去年の刈り取った根の跡が残っている耕さない固い土に苗を植えている、そんな変わった田んぼを見かけたことはありませんか? 近頃、そんな田んぼに、絶滅が心配されているメダカが帰ってきているらしい。
 名付けて「不耕起栽培」あるいは、「自然耕栽培」というらしい。田んぼを耕さないで、苗が育つのか? ちょっと疑問に思うところだが、ひとつは稲が持ってる本来の生命力を見直す。もうひとつは耕さないことで土の表面に雑草の種が顔を出さず、種ギレをおこし、雑草が生えにくくなるので、肥料や除草剤を使わなくて済む。また、古い切り株はまだ根が生きていて、そのままで、田んぼを耕している、とうような理論らしい。
 春になると、藁が残った状態のまま、田んぼに水を入れると、水中に没した藁は微生物の力で自然分解され、それまで見たことのない「サヤミドロ」という藻が発生する。次に6月頃になると、ミジンコが無数に発生する。こんどはそれを餌に、クモやカエル、タニシ、様々な小動物が住む。「サヤミドロ」が水を浄化しつつ酸素を供給し、プランクトンを生み、小動物を育む。こうやって、田んぼにメダカやトンボ、蛍、ドジョウ、コブナなどが田んぼに帰って来たというのだ。しかも農薬を使わず、普通の稲より丈夫で増収になるという。
 自分が子供の頃、確かに田んぼには、ドジョウやメダカ、トンボや蛍などはたくさんいた。自分もそんな、全国的にも有名な稲作地帯で育った。しかし、物心つく頃にはすでに田んぼには農薬が使われていたし、農業用水路もコンクリートで固められていた。そして気がつくと、田んぼからそんな生き物が姿を消してしまっていた。
 いつごろからそんな風に日本の田園はかわっていったのだろうか? 実は1960年代の中頃から、日本のそれは変わりはじめたらしい。昔は一枚が小さな田んぼだった、1961年に「農業基盤整備事業」というのがはじまり、増収を目指すべく田んぼに機械をいれる、そのためには一枚の田んぼを大きく区画する。さらに化学肥料や農薬が使われ、「合理化」がはかられ、農業用水や排水路も素早く水を入れたり排水できるように、コンクリートで固められていった。それまで、田に水を入れる場合、水の流れは急であっては具合が悪い。だから水路の流れはゆるやかで、浅くて、ゆったりしていた。そんな水路だからこそ、メダカやカエル、ホタルなどが生息できたのである。梅雨時には田と水路は見分けがつかないほど水で満たされ、メダカやドジョウは双方を自由に行き来できた。そんな小動物を目当てに野鳥たちまでくるのであった。ところが、水路がコンクリートに変わってしまうと流れは急になってしまい、小動物たちが卵を産み、隠れ家にもなっていた水草や藻が流されてしまう。かつてそうやって水路の周辺の生態系が崩壊してしまった。
 ところが、最近そんな「不耕起栽培」をしている田んぼにメダカが帰ってきたばかりではなく、冬にその田んぼに水をはっていたらマガンやサギ、白鳥までやってくるという。「冬期湛水水田」と呼ばれているその水田は「不耕起栽培」の手法のひとつらしく、春に雑草が生えにくくするという効果があるらしい。水鳥は残された古株に棲む生物を目当てにやってくるらしい。それが地方の農村のちょっとしたニュースになった。その記事をみていた、かつて雑誌の編集者をしていた人が、新潟のトキ「優優」が2007年に野に放たれるとうことと結びつけて、佐渡にも「不耕起栽培」の田んぼを増やして、「優優」のエサを確保しようと、運動をおこした。そして各方面の人々の心を動かし、ついに農薬の空中散布をしていた佐渡においても試験的に「不耕起栽培」が開始されたらしい。
 稲しか育たない、育てようとしない今の米作りは、やはりおかしいのではないか? 鳥達までたくさんやってくる田んぼで育った米の方が良いような気がするのは自分だけだろうか? しかもトンボや蛍が飛び交う田園風景が戻ってくるというのなら、なおさらこのビオトープをみなおしたい。
 金丸弘美さんが書かれた「メダカが田んぼに帰った日」という本を読んで目からウロコだった。

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