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2005.12.06

告白のスタイルとしての小説

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今、読んでる小説のなかにこんなことが書いてあった。

「ねえ、なぜあなたたちのところに、ちいさな子どもまで集まってくるのかしら」
その答えはおれでもできる。京一の顔からは感情が消された。
「ガキどもには、モデルがない。身近なところに目標になる大人がいないし、夢も見せてもらえない。おれたちはモデルと絆を用意する。自分が必要とされている充実感、仲間に歓迎を受ける喜び。規律と訓練。今の社会では得られないものを、力をあわせ見つける」と。

今の大人たちが目標とされるかということではなくて、あの頃の自分の目標だった人のことを思い出した。ものごごろつく頃、気付いたら僕は世間からはみ出ていた。それでもはみ出ている人を目標にすることなら出来そうな気がした。たとえば、耳を切ったゴッホ、アル中のユトリロ、貧乏で死んだモジリアニ。そんなはみ出ていた大人たちを目標にして、今までなんとかここまでやってこれたような気がする。

小説をかくということは、告白だ。あらゆる種類の告白だ。自分のことを話すときの恥ずかしさ。なのでそれは物語によって語られる。そんな様式なのだろう。
あたりまえか。

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コメント

faceさん、お久しぶりです。
私もまた、はみ出し者のひとりです。
はみ出し者の告白は、ネットのラインをたどって、今日もまた宙をさまよっています。
小説を書くということは、不特定多数の人の前でセックスするようなものです。
それがたとえ私小説ではないとしても。
それでも書かずにはいられない衝動だけを頼りに、これからも書き続けたいなと思っています。
……なんて、とても個人的なことを書いてしまいました。
faceさんなら、小説を書く人間の苦しさをわかってくれそうな気がして。

忙しそうですね。年末ですものね。
お身体大切に。

投稿: 木村衣杏 | 2005.12.10 17:02

こんにちは。
いあんさんもはみだし者ですか? はたからみてると、
とても健全でそんなふうには感じられないのですが、ご自分でそのように感じられてるのなら、やはりそうなのかもしれませんね。小説を書いてらっしゃるのが、なによりその証拠なのでしょうか。今、現実に生きている時代への共感と反発、その価値感の多様性。なぜ告白しなければいけないのか、それはおそらく同時代に生きる人たちとの連帯なくしては生きていけない人類の宿命。そして自分の告白を含めた多様性の文化を次の世代へ永遠に伝えて行くこと。そしてまたその永遠性のなかに自分の命が連なっていることへの感覚。
詩も一緒だと思うんですが、詩の場合は言葉の迷宮へ入り込んで、ややもするとその人だけにしかわからないところへいってしまうような。そのかわりはまるとものすごい説得力というかリアリティを生むように感じます。
山田詠美さんの本は沢山読んだ訳ではありませんが、『風葬の教室』という作品はいじめの問題をとりあげてる作品で、いじめの心理がとてもリアルで文学におけるリアリティというのは、こういうことを言うのかと、読んで思ったものでした。また、『放課後の音符ノート』は装丁が非常にきれいで、セロハンみたいな薄紙がカバーになっていて、とてもかわいらしい本です。物としてのその本は、いあんさんにぴったりイメージが重なって、思い出すたびうっとりします。詳細は忘れてしまいましたが、物語も微妙なちょっとした心理を描いていて、おもしろい内容だったように記憶してます。
さすがいあんさんの表現(不特定多数…)はただものではありませんね。小説を書いてる人の気持ちをほんのすこしわかってるような気になっているfaceより。頑張ってね、楽しみにしていると同時に期待してますよ〜。新人賞。

投稿: face(いあんさんへ) | 2005.12.11 11:31

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