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2005.11.13

「自由の女神」と「結(ゆい)」

『自由の女神』と『結』はどちらが新しいのだろうか。

青森県大畑村に『木野部海岸』というところがある。大畑村には昔、岩が適当に点在する美しい砂浜があった。かつて子供たちはそこで遊び、捕れる魚もその浜のおかげで潤い、静かで豊かな漁村の暮らしがそこにはあった。高度経済成長時代、イカ漁がその村の覇権を握った。イカ漁が暮らしをもっと良くしてくれるのではないかと村人たちは幻想を抱いた。そしてその覇権は、漁港をコンクリートで固め、大きな船が出入りできるように、深く掘ったり、港を整備した。それには飽き足らず、『木野部海岸』にコンクリートの構造物を造ったのであった。皮肉にも、港を新しくしはじめた頃から、イカ漁は振るはなくなり、船はイカを求め、遠くは外国まで遠征するようになった。そしていつのまにか村はさびれていた。そして村人たちは失ったものの大きさに気づいた。たった150メートルの海岸ではあるが、国の助成で造った建造物を壊し、元の美しい海岸に戻そうという運動が起こった。法律的な問題も乗り越えて、村人たちはたった150メートルであるが、かつての美しい『木野部海岸』を取り戻そう、と試みはじめたのであった。

時をおなじくして、ユングの集合無意識ではないが高度経済成長以来、大量生産、大量消費、そしてそのために製品のサイクルをわざと短くして物を売る、そんな社会に限界を感じ、新しい試みをはじめている人たちが沢山出て来た。

古い城よりりっぱな棚田の石組みの山口県、防府市。田んぼと林業を営んでいる人が紹介されていた。彼はかつて警察官をし、高度経済成長時代、一儲けしようとその警察官をやめ、レストラン経営をはじめたがまもなく倒産。そのときに、実家が持っていた田んぼや山林が荒れ果てているのに、気づき山や農作業の生活に入っていった。山に入って、木の枝や下草を刈るつらい毎日。そこで彼は考えた。飼っている牛6頭をその山林に放してみるとどうなるだろうか。すると牛は野山を駆け回り、下草をほとんど食べ尽くした。そして牛が落とした糞は山や農地を肥やしていった。牛そのもは、急な山などを駆け回るので、丈夫になり飼料など必要としなくても、長生きをし、丈夫な子供を沢山産む。しかも食べ尽くした下草の跡には毒性の強い「しきみ」が残る。そのしきみは仏前に供える花として出荷して20万の儲けになるという。自然との共生を試み、成功した例だ。その他、アイガモ農法とか、これに似たような試みが今、トレンドなのだ。

そして、自分が生まれた町の一つ山を越えた村、秋田県、上小阿仁村の話。マタギの里として知られる人口3千ちょっとの小さい、小さい過疎の村で、昔からの『結』という部落の共同体みたいな組織、それをもっと強固にして厳しい現実を乗り越え越えようとしてる人々が紹介されていた。村自体は、いくつかの町と合併の話があったらしいが、それを拒否したというのだ、番組は、そのときの心境などを村長さんにインタビューした。村長さんは語る。「村には、顔や名前が知らない人は一人としていない」それが合併したとなると「顔も名前も知らない人がたくさんできてしまう」。確かにそれは小さな、小さな過疎の村の裏側を観た最高の長所であり、そこに村のアイデンティテー、誇りを感じているのだ。かつて村にには秋田杉を加工する製材所が10数カ所あったという。外国から安い建材がどんどん輸入され、樹齢100年を超える秋田杉ではあるが、需要がめっきり少なくなり、今では製材所も3カ所しかなくなったという。そんな厳しい現実を村人たちは昔からある『結』という共同組織の仲間意識を更に強固にして乗り越えようと云うのだ。現実には、その100年以上も育っている秋田杉の宝の山を捨てないで、助け合って現実を乗り越え、守って行こうとする新しい運動なのだった。自然は財産なんだというマタギの伝統的な自然との共生を踏まえた考え方なのであった。そういう考えは一見、現代人が一時、夢見ていた「自由」の獲得とは逆行しているようにみえるが、実はそのような新しい潮流が世界的に巻き起こっているのだと評論家の内橋克人さんは云う。

以上、昨日やったNHKのETV特集「長ぐつの旅・菅原文太(時代に逆らう反骨の男たちを訪ねる3千キロの旅)」をまとめただけのこと。とても興味深い番組だったと思う。それに偶然総合でやっていた番組「ユリばあちゃんの岬」で、ユリばあちゃんが、知床岬の突端に座り、オホーツクの海を観ながら「ここには鹿が新しい命を育む姿や豊かな海や海岸の自然、恵み、なんでもある。だから他になにもいらない。友達だっていらない」といった言葉が重なりあってしょうがない。

「自由の女神」と「結(ゆい)」。この二つの言葉が、唐突ではあるが僕の頭の中にイメージとして浮き上がって来たのだった。

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コメント

こんにちはー。「結」のほうが、「自由の女神」より古くて、新しいと思います。自然と人間の暮らし、という観点からは、自由の女神の国は、まだ未開の文明という感じじゃないでしょうか。

投稿: autan | 2005.11.13 12:32

こんばんは〜。
やはりそうでしたか〜。
なるほど未開ですか。
そういえば
最近のブッシュのやり方は
たしかにそうかもしれまんせんね。

投稿: face(autanさんへ) | 2005.11.14 21:58

こんにちは、ならぢゅんです。ごぶさたしておりました。

「長ぐつの旅」は見損ねてしまいましたが、「ユリばあちゃんの岬」には感動しました。自然と共に生きる人の暮らしの原点を見せつけられた想いです。先月だったかNHKのBSで放映された「喜びは創りだすもの~ターシャ・テューダー四季の庭」もそうでしたが、文明に囲まれ、それでいて一向に豊かさを実感できない今の自分の生活はいったいなんなんだろう、と考えさせられました。う~む。

投稿: ならぢゅん | 2005.11.15 12:16

こんばんは〜、ならぢゅんさん。
こちらこそご無沙汰しております。
お元気ですか〜。
こちらは、ほんの少し仕事が忙しいです。
それで、ストレス解消に、息子とポタリングを
はじめたりしてます。

「ユリばあちゃんの岬」を観られてたんですね。
あの番組は面白かったですね。
「友達なんかいらない」という
発言には深いものがありましたね。
できれば、自分もあんなだれもいない
自然のなかで一生暮らせればな〜
なんて思いました〜。
でもまあ、そんなの無理なんですけどね。
自分には自分の使命のある場所が
あるんだなとは思いますけど…。

「喜びは…」の番組は観ませんでした〜。
すいません。
再放送なんかあったら是非
観てみたいですぅ〜。

では、また遊びにいかせていただきます。

投稿: face(ならぢゅんさん) | 2005.11.15 22:26

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