« フラワーフォトアレンジメント | トップページ | 1973年の頃の純な気持をあなたにも分けてあげたい »

2005.07.03

詩を歌にすること

jitennsya_

最近の歌は、なんて批評家ぶったことはあまり云いたくないのだけど、云いたい。高級すぎて最近の歌は誰でも歌えない。歌は、誰にでも歌える歌でなくてなならない。どこでも、どんなときでも歌えないければいけない。なぜなら、突然元気がなくなったり、悲しくなったり、嬉しくなったり。別れがやってきたり、出会いがあったり、宿命を感じてなみだがでたり。どうしようもなく腹が立って、気をしずめたいとき。そんな人生のあらゆる場面で、それは鼻歌として簡単に歌えるような歌でなくてはならない。しかも、それは仕事場であったり、路上であったり、家であったり。※このblogの特色として「人生」とい言葉が多い。しかもそれはボキャブラリーが極端に不足してるところからくるらしい。

そして歌の体験。意味が良く分からないのだけれど、何回も聞きたくなって、レコードをすり切れるまで聞く。そして必然、自分も歌ってみる。分からないまま、その時の気分で鼻歌交じりに歌う。何回も何回も。そしてあるときその歌詞の意味に気づく。その時がまた感動だ。うれしくて涙がでてくる。ああそういう意味だったのか。そして歌は、一生自分のものになるのだ。そうやって、詩人の詩を、高田渡の歌を通して僕は学んだ。高田渡が詩人達の詩に音をのせて歌ってくれなかったら、僕は一生彼らの詩をしらなかったろう。僕は詩を歌でしか知らないといっても過言ではない。渡が取り上げる詩は、やさしい言葉の詩ばかりだ。高邁などことなくツンとしてるような詩には見向きもしなかったに違いない。ある意味で、社会の生活の底辺に生きてる、そんな詩人ばかりを取り上げている。それは同じ仲間意識なのだろう。自分もまたそんな仲間に加わりたいと切に願うものである。特に『鰯に鮪』なんかは好きな詩であり歌である。

|

« フラワーフォトアレンジメント | トップページ | 1973年の頃の純な気持をあなたにも分けてあげたい »

コメント

faceさん、おはようございます!
「人生」という言葉が多いんですね。
「今はまだ、人生かたりたくないなー」
みたいなことを以前にコメントでおっしゃっていたことを思い出しました。

歌を聞いていて、あるとき歌詞の意味に気づくこと私もあります。感動ですよね。
正直にいうと『鮪に鰯』の詩のこころがまだ私にはわかっていません。
でも、わかりたいと思うし、いつかわかるような気もしています。
faceさんの絵を見ていたら、すとんと心に入ってきたものがありました。
バージョン2も期待しています。高田さんの歌でもあるんですね。

赤い自転車に乗っているんですか。それとも誰かの自転車ですか。
私は赤い自転車にはちょっと悲しい思い出があります。
きょうもよい一日を。ではまた!

投稿: chiiko | 2005.07.06 07:08

こんばんは〜、chiikoさん。
そうなんです。やたらと「人生」という言葉が多いんです。
クサイですね。まえに、今はまだ人生語りたくない、
なんて確かにどこかに書きました。
それって矛盾してますよね。
本当の心の中は、
やはり語りたくてしょうがないんでしょうかね。
でも、それがちょっと格好わるい気がして、
そんなふうに書いたんでしょうね。
恥ずかしいです。

赤い自転車は僕のではありませんで、
そこの風景のなかに置いてあって、
すごく目立ってたんです。
それで、ついカシャっと。
chiikoさんにはいやな思いであるんですか〜。
もし良かったらいつか聞かせてください。

鰯に鮪のイラストはマンマのイラストなので
もっと書きようがないものなのかな〜 と思案中です。
それで一なのであって、もうすこしマトモなのが
できたらニとしてアップするつもりですが
難しいです。
どうもありがとう。
明日は七夕ですね。
chiikoさんもよい一日を。

投稿: face(chiikoさんへ) | 2005.07.06 21:26

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11585/4806954

この記事へのトラックバック一覧です: 詩を歌にすること:

« フラワーフォトアレンジメント | トップページ | 1973年の頃の純な気持をあなたにも分けてあげたい »