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2004.09.30

カテゴリー:Editorialは引っ越ししました。

カテゴリー:Editorialはな〜んちゃって通信セカンド:editorialへ引っ越しました。よろしくお願いします。

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2004.09.23

多様性を認めるということ

 「センセイの鞄」のツキコさんは37歳の独身女性。相手はかつての高校時代の国語教師。30歳以上も年が離れている。普通とはちょっと違うパターンだ。だがそういう恋愛もあっていい。というかそういう恋愛こそ美しいと感じた。人間の多様性を認めることが大事なんだと。一定の型にはまった存在ではなく、それぞれの個性が、他者に対して価値を及ぼしていくことが出来るということは美しい。そこには異なるものを排除する精神はない。文化の異なる人々を憎悪の対象として見ることをやめ、いろんな違いを受け入れていかなければ憎悪の連鎖は断ち切れないと思う。

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2004.09.22

アイスコーヒー@秋味ぶろぐ

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ジャズが似合う街の
メインストリートに面したバーガー屋で
秋の味するアイスコーヒーを
一人飲めば
欅並木が
スウィングする

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2004.09.21

台座の上にはなにがあるの?

mugenn.jpg 自分が描いた下手な絵でも額縁に入れると途端に上手く見えるのは何故だろう。ルオー爺さんは自分の絵に額縁まで描いてしまった。それと同じように、自分が作った下手な粘土細工を台座の上に載せると突然上手く見えるのは何故だろう。それ等のことを逆手にとって、マルセル・デュシャンは美術館に便器を陳列した。それまで彫刻にとって台座は必要不可欠なものだった。台座の上に載ってるのが彫刻であり、何か特別なものだった。しかもそれは神聖なものだった。ブランクーシはその台座を無限と思えるほどに何段も何段も重ね、とてつもなく高い台座にしてしまった。下から人間が見上げてもその上に載っている作品は見えないに違いない程に。実際、その台座の上には何もない。何もないが、何もない空間があり天がある。そしてその天が作品であり、神聖なのだ。そのことを僕はコンスタンティン・ブランクーシという彫刻家から学んだ。

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2004.09.20

小学校の廊下にゴッホ

yuu.jpg 小学校の廊下にゴッホの「オヴェールの教会」の複製がかかっていた。教会が真ん中に描かれていて、道が手前から教会の両側に分かれていく。道には確か、かごを持った女性が歩いている。手前の道からゴッホのタッチは教会に至り、その教会はゴッホの熱のあるタッチによって変形され、一つの生き物、生命になる。その生き物は魂のありどころに収まる術を知らず無限の空へと行き場を求め、タッチは教会の尖塔から天へと向かう。そんな絵に子供ながらも、絵が生き物のように感じられたものだ。僕にとってゴッホははじめての絵であり、それが僕にとっての絵の標準になった。それをきっかけに、教科書に載っていた、印象派やその後の画家達の絵と名前を一つ一つ覚えていった。その頃好きだった画家はたくさんいる。モネ、ルノワール、ユトリロ、シャガール、ピカソ。その他数えればきりがない。コンプレックスのかたまりだった自分はいつのまにか絵の虜になっていた。そういえば日曜日の「課外授業」の夏木マリさんも「若い頃、コンプレックスのかたまりだった」と言っていた。彼女の言葉に深く共鳴するものがあった。

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2004.09.16

シャワーは葉っぱの雨

 今日は、朝は気が重かった。苦手の説明のための人物イラストを10点ほど描かないといけない。ヲークマンでナベサダのカリフォルニアシャワーを聞いても気持ちが盛り上がらない。しかし、我慢してるやってるうちにだんだん乗ってきた。なんとかこうにか出来た。やれば出来るジャン。帰りは、そのナベサダが妙にいきいき聞こえた。そしてそのシャワーは葉っぱの雨。

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2004.09.14

息子の宿題の仕方

 一文字書いては、鉛筆のはじっこを持ってゆらゆらゆらし、「おとうさん、鉛筆まがってみえる?」と来るのだ。「見える、見える」とオヤジはついつられ、乗ってしまうのだ。「なにをやってるのだ早くやれ」というと、「はいはい」と言うが、また一文字書いて、こんどは定規で消しゴムを飛ばしている。それを見てオヤジは「こりゃダメだ、将来先が見えてきた」とあきれてものが言えない。息子は「間に合わない」とつぶやきながらも今日の記事の事をかんがえている。そんなこんなで今日も夜が更けていく。「まじで大変だ、死ぬ、死ぬ」と息子はまだ苦しんでいる。
 でも、宿題そのものにも問題有り。なぜ問題を写さなければならないか? 疑問に思う。そんなの式と答えだけ書けばいいと思う。時間の無駄だ。それに「漢字作文」も大分変。「漢字スキル」というのがあって、そこに出てくる漢字を使って物語を書くのだが、そんなの大人だって難しい。それを考えただけで、このblogの記事を考えるより時間がかかってしまうというものだ。そんなのどこの子供がやるって言うんだい。まじめにやってる子供なんて、クラスに一人か二人しかいないと思う。だったらセンセイが一カ月まずは続けてくれ〜。な〜んちゃって、センセイごめんなさい。

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2004.09.13

ワレモコウふたたび@秋味ぶろぐ

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の紅い色の中に私は収まっている
私は青いキキョウにはなれない
なりたいとすごく思うときもある
キキョウはとても綺麗だから
だから私は泣いてみる
世界から切り離されて
たったひとりぼっちで咲いていると
紅い川のように
よどみなく涙はながれる
でもそれでいい
私は私にとどまらず
泣くことで新しい私があらわれる
それは古い私を棄てる儀式
涙は流すためにある
それは生きるための証
そして私は紅い涙をながす
そして私も紅い
そして私も恋う
吾(われ)も紅(こう)

長倉洋海 TEARS涙—誰かに会いたくて より着想

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2004.09.12

土や青空があることはあるのだ@秋味ぶろぐ

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九歳の時、田舎からはじめて東京に出てきた。東京には「青空がない」とか「コンクリートジャングル」とか言われていた時代。ほんとうにその言葉を信じて疑わないウブな自分は馬鹿だった。あの頃は電車に乗るのが怖かった。ベルが鳴るとビクッとして慌てて電車に飛び乗ったり、乗ってからもどこで降りるかキョロキョロ。乗った電車が急行で、降りるべき駅があれよあれよと通り過ぎていく。そんな時代にも東京にはちゃんと土があったし、青空ももちろんあった。あれから二十数年、東京の23区内にもちゃんと土や青空があることはあるのだ。

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2004.09.10

門外漢 庭園に思う

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  読書の秋ということで今。梨木香歩さんの『裏庭』を読んでいる。梨木さんの本はこれで二冊目。一冊目は『春になったら莓を摘みに』というのを読んだ。魅力的な文章ではあるのだが、非常に読みにくい。それで途中で投げ出してしまった。投げ出してしまったのだけれど、何か捨てがたいものがあって、今度はこの『裏庭』にとりかかっている。作者はイギリスへ留学していたらしい。なのでイギリスの庭園に造詣が深いのだろう。この本でも庭園のことが話題になってなっていて、登場人物のある一人がこんなことを言う。「結局私の目指しているものは、理想的な混沌、とでも呼ぶべきものだということがわかってきましたよ。自然のままに、まったく手を加えないっていうんじゃないですよ。そうすると庭は必ず『荒れる』んです。ひどいもんです。悪くすると敵意に満ちあふれた場所になります。なぜだかわかりませんがね。自然の中には神の御心にそぐわないものが働いているとしか思えませんね」と。詳しくはよくわからないけれども、作者の「庭園」や「自然」に対する考え方のこだわりが感じられる。
 自分も最近庭園を散歩したばかりで、日本庭園も西洋庭園も見てきた。また、野の花や、高山植物、フラワーアレンジメントといった花に最近関心がある。そして今までそうゆうものに詳しくなかったのだけれど、花の名前を覚えるのが楽しみで、それが自然の中や街中や庭園や公園で見かけるのも楽しみになった。年をとったということかもしれない。植物と人間が住むところが庭園だとすると、その考え方を押しすすめめて行くところに『ビオトープ / Biotope(生態系が保たれた空間)』という考え方があるのだろうか? 門外漢なので僕にはわからないけれども、その他、TVで、耕さない、草をぬかない、肥料をやらない、そんな自然農法が紹介されていた。またそれから、市販された種から2世代以上たった種を自分達で作っているという農家。これは、今までの農業が同じ品質と生産性を確保するために一つの品種に偏っているという反省からこのような運動があるらしい。一つの品種に偏ると、災害や何かあったときにその種は死滅してしまうというもの。そうやって人類は最近、種の4分の3を失っていると警告する科学者がいるらしい。とにかく、そんな自然ということにもっと積極的に興味を持っていきたい。

 話は突然変わるが、作家の水上勉さんが亡くなられた。自分が読んだ本は『五番町夕霧楼』『はなれ瞽女おりん』など楽しませていただいた。ご冥福をお祈り致します。

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2004.09.07

あれ、あれ、あれだよ〜

 最近、どうも言葉が思い出せない。あれ、あれ、あれだよ〜なんていってる自分に気づく。また、タイピングミスもはなはだしい。つい最近、このblogでも○○会館と書くべきところを、○○快感と書いてしまった。あ〜恥ずかしい。見直すようにしてるのだが、それでもチェックが甘くて間違えている。あまりにも頻繁なので、仕事にも影響がでている。ちょっと深刻ぎみに悩んでいた。そしたら本日は晴天なり・・・!?さんが、脳を鍛える大人の音読ドリル—名作音読・漢字書き取り60日という本を紹介していたので、早速購入して試してみることにした。ドリルをする前に、現在どのくらいのレベルかみるテストがある。一つは1〜120までの数を出来るだけ早く声に出して言うという問題。57秒かかった。かなり遅いらしい。それから次はひらがな3文字(さとう けらい etc…)が30個並んでいるのを2分で覚え、その覚えてる単語を出来るだけ多く2分間で答えるというもの。自分がやったら8個。これはかなり重症か? これからまじめにこの本でコツコツ脳を鍛えたいと思う。タイプミスがなっくなったら、みなさんそう言ってくださいね。

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2004.09.06

秋はどこにある?

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何となく秋を感じる瞬間というのがある。たとえば寝る前にシンとなったときに聞く虫の音。もうすぐ暮れようとする空の雲。しかしいざその気になって秋を探すとなかなかない。まだ夏の終わりはたくさんある気はするのだけれど。こちらの感性が鈍いためかもしれない。

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2004.09.04

とまるかと見せかけて

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 NHK教育は結構見る。今日は、『第17回全日本高校・大学ダンスフェスティバル』を見た。群舞だ。普段そんなの見たことがなかったけど、下手な芝居見るより良かった。身体表現の方がより多くを語ることが出来るのでないかという可能性をみることが出来た。手や足や身体全体を伸ばしたり縮めたり、止まるかと見せかけて、その瞬間に跳躍したり。そんな個人の動きがさらに全体の動きのなかでドラマ化する。やはり見えないものに形や動きを与える。テーマは「輪廻」「デジタル化した社会によって喪失されるもの」「踏み絵に題材をとった 道しるべ 〜迷い、悩み、そして決めた道〜 」など様々。文部科学大臣賞に輝いたのは筑波大学。自分が気に入ったのは、どこの高校かは忘れてしまったけれども、「樹」をテーマにしたもの。尚、ゲストにはコンドルズ。自分は知らなかったのだがカミさんが知ってて、結構有名なダンス結社らしい。


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 ある新聞のコラムに、小林秀雄が1948年のロンドンオリンピックの記録映画を見て述べた感想を紹介しながら、“戦うもの”と“見物人の違い”ということが書かれていた。「“選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そして遂に征服する、自己を”それに比べ、観客の表情はどうだろう。不安、落胆、期待、興奮……。投げるべき砲丸を持たないばかりに、人々の表情は千変万化する。“また、戦争が起こるような事があるなら、見物人の側から起こるでしょう。選手にはそんな暇はない”」と。また「人生という名の競技場では、たれ人も“観客”でいることはできない。“投げるべき砲丸”を見つけ、自己との戦いに敢然と挑まなければならない」とあった。ズシッときた。

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2004.09.03

花の名前は知らないけれど

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 花の名前は知らないのだけれど、ご近所さんに立派にたくさん咲き誇ってる花があって、綺麗で、ただ通り過ぎるのはもったいなくて、何回か写真に撮ったけど上手くいかなくて、それでもまた撮ってみました。

 今日、お医者さんへいって長年いやだったホクロ取ってきました。多分成功したと思います。いやでいじってるうちに大きくなって取りたいな〜と思ってたんですけど。最近、簡単に取れるということがわかって、勇気出して行ってきました〜。もしも、自分と同じようなことを考えている人がいたら、迷わずお勧めします。痛くないですよ〜。そしてすっきりしますよ〜。自分が行ったところはいわゆる形成外科・皮膚科。レーザーで取りました。費用は5700円+組織検査代3080円=8780円でした。まだ絆創膏貼ってますけど、どんな顔になるか楽しみです。な〜んちゃって。

 今日は武蔵野タンポポ団の「寂しい気持ちで」というのと「ぼちぼちいこか」のなかの「俺の家には朝がない」を聞いて寝ることにします。

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2004.09.01

山本容子さんの授業

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石神井公園の風にゆれる柳に秋がほんのすこし忍びよる


 NHKの番組で有名人が母校を訪れて2日ぐらい授業をするというあの番組。面白くてつい見てしまうのだけれど、大分前の山本容子さんの授業は印象に残った。その授業のなかで、ご自分の作品(かみそりの刃を画面いっぱいにたくさん描いた版画)を生徒に見せて、説明していた。「この絵はピカソに勝とうと思って描いた。ピカソも決して描かなかったものを描くことでピカソを超えようとした」と。そして生徒たちに、「だれも今まで描かなかったもの、だれも見向きもしないようなものを描こうじゃないか」と呼びかけて、授業は盛り上がりをみせる。生徒たちの目の輝きが断然違った。もう気分は一流アーティスト。やる—やるという感じ。
 かたや昨日読んだ川上弘美さんの「センセイの鞄」、これもやはり誰も見向きもしないような一杯飲み屋での純愛物語。この二つに共通するのは、だれも見向きもしなかった、あるいはだれも見ようとしなかったもののなかに、あるものを見ようとする眼だ。見えるものを見えなくし、見えないものに形をあたえることが使命の分野があるのだなと思った。

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