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2004.06.29

ひとりごと2

頭をがつんとやられたが考え中(タカダラジヲ)

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2004.06.28

ひとりごと1

おちょくった感じになるのは、それがいい尽くされていて、それを引用して皮肉ろうということなのか。参りました。完璧に。

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2004.06.27

ほんとの愛

ほんとの愛が欲しければ結婚後の不倫コースをおすすめします(タカダサイテイ)

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2004.06.26

『愛に関する十二章』を読む

 今日は、五木寛之氏の『愛に関する十二章』を読んだ、面白くて半日で全部読んでしまった。
 書評というのはそれ以上上手く表現することが出来ないので苦手だ。しかし、その目次を紹介すると、第1章 自分を愛する─ナルシシズムが教える愛のレッスン─、第2章 同姓を愛する─その愛情により深いものがあるかどうか─、第3章 家族愛─この振り払っても振り払ってもついてくる情─、第4章 人間愛─慈しむ心と悲しむ心と─、第5章、小さいものへの愛─つらい現実から、一瞬目をそらせる隠れ家のような愛─ 第6章 恋愛─恋と愛という二つの核を持つ楕円形─、第7章 仕事への愛─仕事がもたらす生きている手ごたえ─、第8章 性愛─万物生成の源─、第9章 物への愛─人間の言葉を理解する物たち─、第10章 言葉と愛─言葉に託された愛の形─、第11章 静かなる愛─肉体と精神がつながる新しい恍惚─、第12章 新しい愛の形─「第三の性」はなにをもたらすのか。

 この目次を見ただけでその内容が充実しているのがわかる。1章ごとに興味深い話があり、すべて紹介すると、全部写経しなくてはいけない。たとえば、第3章の家族愛。『どんな冷酷な仕打ちにもめげない愛』という小見出しがついていて、こんな話が載っていた。
 
 少年保護施設から一時的に親元に戻された子どもが、実の母親から摂関を受けて、体中に傷をつけて帰ってくることがよくあるそうです。そのとき、施設の人が「お母さんに叩かれたの?」と問いただしても、首を横に振って、「そうじゃない、お母さんは優しかった」と言い張ることが多いといいます。全身アザだらけになり、ときには死にいたるような摂関を受けてきた子どもがなおも母をかばう、その背景に一体なにがあるのかということを考えざるをえません。そこには憎悪とか悪とか道徳の退廃があるだけでなく、複雑に屈折した現代の家族の強い愛情というものが見え隠れするのです。

 そして『小さいものへの愛』という第5章ではアウシュビッツから奇跡の生還をした精神科医のフランクルの書いた『夜と霧』が紹介されていて、五木氏がフランクルに会いたくてアポイントを取ったがフランクルが病気のために叶わなかったこと、そしてその後亡くなられたことが書かれていて、そのときに聞いてみたかったことがあると。それは「極限状態におかれたとき、人はなにによって生き延びることができるのか」ということであると、五木氏は書いている。さらに、収容所でのフランクルの体験が紹介されている。

 ある日労働で疲れ果ててぼろきれのように、バラックの土間に横たわっていたとき、一人の仲間が転がるように飛び込んできて、「夕焼けがすごく綺麗なんだ、早く点呼場まで来い」と言う。みんなが急いで出て行くと、西の空には幻想的な色調の雲が燃え上がるような夕焼けの中から浮かび上がっている。その下には対照的に荒涼とした灰色のバラックが影を作っている。水溜まりは燃えるような空をうつしている。その光景を見た数分の後、その中の一人がこう言ったそうです。「世界って、どうしてこう綺麗なんだろう」フランクルはこのように、夕日に魅せられて、眺め入るタイプの人が、かえってアウシュビッツを生き抜いたといいます。中には、夕日が美しかろうが自分には一切関係ないという人たちもいたのですが、その人たちのほうが、先に倒れていったと報告しています。

 第十一章は更に発展した形で短編の『サイレント・ラブ』とい本になってます。ポリネシアン・セックスというものを紹介され、グローバルスタンダードから離れて新しい愛の形を提案されてます。

 そして第十二章、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を、生殖を目的としない性のあり方として「第一の性」だとすると、その後のウーマンリリブ運動に火をつけた、ボーヴォワールが唱えた「第二の性」。そして、今、第二の性によって解き放たれた女性と柔軟な考えを身につけた男性がともに喜びを得る性のあり方を考える、「第三の性」を提案する。

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2004.06.24

はみだした

はみだしたおやぢは一人少女のようにディランを歌う(タカダワカラナイ)

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2004.06.23

ひまわり

papa10.jpg

知っていますか
この春に
私の丘に模様のようにやって来て
呼びもしないのにやって来て
部屋に向かいそのまやかしを広げて
そしてそのあと
深く頭を垂れて死んでいった
ひまわりたちよ

バーナード・フォレスト詩集より

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2004.06.20

白夜を想う

父の日にランタン点けて北欧の白夜を想う夏至祭は明日

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2004.06.19

ブランコ

おあぞらにかかるブランコ誰よりも早くあなたに会いに行くもの(タカダワタラナイ)

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世界中の花

あなたに送られるべき世界中の花を一人で買い占めたいな(タカダワタラナイ)
↑これは短歌になっているのでしょうか?
(しかも青木麦生さんのパクリ)

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すかんぽ

一人きり空があんまり青いのですかんぽ噛めば君の味する(タカダワタナライ)

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蒼空をたどって

蒼空をたどってただ一人君が吐いたばかりの息が吸いたい(タカダワカラナイ)

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あなたの匂い

一人で見上げる青空虚しくてあなたの匂いあくまで甘し(タカダワカラナイ)

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2004.06.18

夏至祭

学生時代、ゼミで「虚と実」といテーマで話し合っていた。話はこの世に偶然というのはあるのかという話になり、結局ゼミにいた全員(およそ20〜25人くらいだったと思う)が偶然はない、全て世の中必然で出来てるという結論に達した。ではそれをどのように表現したら良いのか考えて見ようということになった。自分が考えたのは、小田急線の新宿発のローカル電車の中で、ある車両で、ある決まった時間に、数十人が打ち合わせて一斉に頭の上に手を載せる。そして、それに気づいた人たちはどのような反応を示すか? というものだった。そして、たとえば2004年6月21日夏至の午後8時〜10まで東京のあるいは全国の街の灯の約半分が消えたとしたら、灯りをつけている人、あるいは街を歩いてる人、あるいは電車に乗ってる人、あるいはビルの屋上で恋を語り合うカップル、そんな人たちはこの現象をどう思うだろうか? もしそんな風になったら、きっと晴れていたら、東京の星空ももっと綺麗に見えるかもしれない。

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2004.06.15

オリジナルはどこへ行った?

 これはショーロホフの小説『静かなるドン』のなかで引用されたコサックの子守歌だ。

あしの葉はどこへいった?
少女たちが刈り取った
少女たちはどこへいった?
少女たちは嫁いでいった
どんな男に嫁いでいった?
ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへいった?
戦争へいった

 シーガーは、この歌にヒントを得て、『花はどこへ行った』を飛行機の中で20分ほどで作った。その後、ジョー・ヒッカーソンが、短かすぎて盛り上がらないので4番、5番を付け加え、5番から1番に戻るユニークな歌詞が完成したのだった。

 その歌はもとへ戻る。繰り返されても繰り返されても終わらない歌と同じように戦争もまた無くならない。多くの違いをことさら強調するよりも、ほんの少しでも共感したものを共有できることに喜びを見いだせないのだろうか?

 子守歌が小説に引用され、そこから一つの歌が作られ、別の人がさらに歌詞を加え、共同作業の末に完成する。あるいは、それはまだ未完成かもしれない。永遠に思いは引き継がれていくのかもしれない。シーガーは言う。「将来、こんな風に世界ができていくと思う。多くの人が自分たちにできる何かを、少しずつ加えて形になって行く」。それは、彼が思い描く理想の世界なのだろう。この歌が消えて無くなる日が来ることを願いながら、人類はまたこの歌を歌っていく。

※この文章はMy Journal3紹介−−世紀を刻んだ歌 『花はどこへいった〜静かなる祈りの反戦歌』の記事を読んで、ほんの少し感想を加えたものです。

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2004.06.14

感激の連鎖

 フォークソングの名曲ピート・シーガーの『花はどこへ行った』はショーロホフの小説『静かなるドン』からヒントを受けて誕生した。コザック兵の間で歌われていたロシアのフォークソングが小説に取り上げられ、さらにアメリカのフォークソングに生まれ変わった。しかもシーガーがつくったのは3番目までで、その後誰かが歌詞を付け加え、花は元へ戻るとなったらしい。
1.野に咲く花は どこへゆく
  野に咲く花は きよらか
  野に咲く花は 少女の胸に
  そっとやさしく いだかれる
2.かわいい少女は どこへゆく
  かわいい少女は ほほえむ
  かわいい少女は 若者の胸に
  恋の心 あずけるのさ
3.その若者は どこへゆく
  その若者は いさんで
  その若者は たたかいにゆく
  力強く 別れを告げ
4.戦い終わり どこへゆく
  戦い終わり しずかに
  戦い終わり 土にねむる
  やすらかなる ねむりにつく
5.戦士のねむる その土に
  野バラがそっと 咲いていた
  野バラはいつか 少女の胸に
  そっとやさしく いだかれる

 そして、またこれも有名なPPMの名曲である「パフ」のエピソード。当時カレッジの学生だったLenny LiptonがOgden Nashの詩を幾つか読んだ後、友人のLenny Edelsteinの家へ夕食に出かけ流途中、失った少年時代のことを思い出し、詩的なインスピレーションにうたれた。ところが友人の Edelsteinは家にいなく、鍵があいていたので中に入っていった。そしてルームメイトであるPeterのタイプライターで、「パフ」の原詩を書き残した。そして帰宅したPeterがこの詩を見つけ、興味をひかれ曲をつけた。その後仲間うちのコンサートなどでこれを歌い、後にPPMを結成して、プロのミュージシャンになり、1962年にレコーディングされ世界的に歌われるようになったということである。

 この二つのエピソードに共通するのは感激の連鎖である。元の素晴らしい何かに惹かれそれは新しい誰かを引きつけ次のフィルターを通して生まれ変わる。そうやって次々と面白いものができあがっていく。そこで僕は考える本当のオリジナルというのはなんなのだろうかと。無から全く新しいものなんて、そんなに簡単に出来るわけがないと僕は思っている。自分が作る詩やイラストもほとんど誰かの言った言葉や、読んだ本、見た絵、そんなものから出来ている。だから時にはパクリだといわれてもしょうがないようなものもある。でもこの二つのエピソードが物語っているように、感激の連鎖で文化は成り立っているとも言える。だから、もしも下手な僕の詩を誰かが読んでくれて、勝手に曲をつけてそのへんで歌って欲しいと思う。そしてそんな詩を書きたいとも思う。そんな風にHPやblogから世界的に歌い継がれるような歌が出来たとしたら、それこそ面白いではないか。それは何も自分のことだけをいっているのではなく…。でも本当のオリジナルというもはどこにあるのだろうか?

 なんか、今日はなかなかログインできないな! 自分だけだろうか?

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2004.06.13

宇宙を横切って


咲くべき時に
咲き
散る時に
散る
水は
ただ
流れるべき方向に
流れていく
あたえられた
流れに乗って
自然を
発見すれば
孤立と孤立を結ぶ
内なるネットワーク
そして現代の
ターニングポイント
宇宙を横切って
いのちの働き
それは自然の原理

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2004.06.11

だからこそ

しい花は散り
あらゆるものが
時間とともに
変わっていき
流れにしたがって
変わってゆく
だからこそ
今 この一瞬の大切さを 僕は学ぼう

言葉の葉は茂り
あらゆる人が
あらゆる人の
命のあふれるすべてを
理解するなんて
できっこない
だからこそ
ほんの少しでも
わかりあえることを 僕は喜ぼう

日の光と影はゆれて
今 歩いているこの道に
存在するすべてのものも
陽炎のようにゆれて
つかまえることなんて
できはしない
だからこそ
ほんの少しでも
いまあるものの 大切さを僕は感じたい

それは気持ちであって
結果ではない
あらゆるものから解放されて
色づきはじめたフィーリングは
風とともに いつでも そこにある
ずっと遠い昔から

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2004.06.09

69

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69(作詞:金子光晴/作曲:高田渡)

あんまり 撫でまわすので
わが 恋人は
ずんべらぼうに なりはてた
その あやまちは
ボク だけじゃなく 君にもある

こんなボクから
逃げるのを忘れて
ながいをしすぎた
わが恋人よ

その場かぎりの よいことや
あてにもならない 約束を
本気にするのが いけなかった

今になっては
目鼻もわからない わが恋人よ
ボクの手垢で
黒光して

さて そうなっては すべもなく
ボクの方から
逃げねばなるまい

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2004.06.08

二十四歳

rivie.jpg

伝えては
ならない愛が
あることを
知ってどうする
二十四歳

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2004.06.05

若鶏と夏野菜の『Arne』風煮込み

resipi-thumb.jpg

[材料](4人分)
●鶏のもも肉4枚(600グラム)●白ワイン100cc●トマト大4ケ(缶詰なら400グラム)●ナス4ケ●玉ネギ1ケ●セロリ1枝●ズッキーニ1本●赤・黄ピーマン角ケ●青ピーマン4ケ●ニンニク4片●オリーブオイル80ml●ローリエ1枚●タイムとバジル少々●塩こしょう
作り方
❶❷鶏肉は4cm角に切り、塩こしょうをして、白ワインに4時間ほどつけこむ。❸鶏肉は白ワインから取り出し、フライパンに油を引き強火で表面に焼き色をつけ鍋に移す。❹白ワインも鍋に戻し、20分ほど弱火で煮込みます。ローリエとタイムも入れておきます。❺野菜は、1cm×3cm角、ニンニクはみじん切りにしておきます。❻フライパンにオリーブ・オイルでニンニクを色づけないように炒め、玉ネギを加えしんなりと炒め、鍋に加える。❼同様にセロリ、ズッキーニ、各種のピーマン、ナスはそれぞれ(火の通りが異なるため)別々に炒めて、鍋に移す。❽さらに、トマトを加えてから塩こしょうをし、フタをして約10分弱火で煮込む。火を止め、仕上げにバジル(生の葉だったら小さめにちぎる)を加え、塩味をたしかめる。

よく冷やした南フランス(プロヴァンス)の辛口のロゼワインが最高のパートナーです。

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2004.06.04

京都発自前文化

 京都市上京区今出川通寺町西入ル。京都の住所は面白い。こんな住所に今も「ほんやら洞」はある。でも同志社・京大文化圏のちょうど真ん中に、位置しているといった方がわかりやすい。自分は行ったことはないが、「自前の文化」を求め1960年代半ばこの店はできた。名前は忘れたが、その喫茶店をつくったひといわく、「当時すべての文化はつくられたものだった、すべてはもうすでにそこにあった。そんなのがいやで自前の文化を創ろうと思った」当時、世の中はベトナム戦争反対、ヒッピー、ドロップアウト、インド放浪などなど。そんな世間からはみ出した連中がこの「ほんやら洞」にあつまった。中心になった人は、詩人の有馬敲、片桐ユズル、秋山基夫、中山容などが「自前の詩」を朗読会で発表したり、当時、流行していたフォークシンガーをも巻き込んで「自前の歌」の発表の場になっていった。まさにここに関西フォークの熱き魂たちを巻き込んで「自前の文化」が花開いていった。そのへんの事情は『ほんやら洞の詩人たち』晶文社に詳しい。
 「自前の文化」ということで、今日入手した『Arne』も「自前の文化」をめざしたものだろう。今までの既成の雑誌ではつまらない、もっとこんな雑誌がほしい。なら自分でつくってしまえ。手作りというとなんか安っぽいが、たとえばボタンが割れない壊れないおしゃれな身体にフィットしたシャツが欲しい。でもない、ない、ならつくってしまえ。これが自前であり、手作りなんだと思う。そこには文化を自分に引き寄せる、あるいは、自分のものにしたい。生活を自分の手に戻したい。自分なりの生き方をしたい。ということだと思う。ついでに隣に『Lingkoran』リンカランという雑誌が「京都」を特集していたのでそれも買ってきた。なんか京都人よりも京都に詳しくなるかもしれない。

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