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2004.05.30

ルアーフィッシング

昨日、釣りの師匠から電話があり釣りに誘われた。山梨県の道志川で渓流釣りを楽しんできた。夜中2時半に出発、道に何回か迷いながら朝4時半に到着。空はもう明るい、谷のあいだから朝日が赤く染まっていた。そして入渓した。11時終了。釣果は師匠が0、友人が0、自分が12〜13センチくらいの小さいヤマメ3尾であった。あまりにも小さいのでできるだけダメージを与えないようにリリース。その後、用意してきたお米をスーベニアで炊き、ガスストーブでレトルトのカレーを温め食べる。ところが箸を忘れてきたので、河原に落ちている小枝を煮沸消毒して代用する。箸やスプーンがこんなにも大事なものだったことを改めて実感。12時、近く温泉に入り、リラックス。もちろんビールも。そして少し昼寝。3時に帰宅するために出発。帰りの車の中で、ラテンの音楽で盛り上がる。釣りの師匠が参加した「ソウルトウソウル」にあわせ、みんなで大コーラス大会。大した釣果ではなかったが、釣りの師匠や友人とも久々に色んな話ができ、緑も満喫。6時に帰宅。

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2004.05.29

自分の感受性くらい

PHP研究所の「わが心の詩」のなかにこんなのがあった。最近写経ばっかりですいません。でもあらたに自分の感想を付け加えることもないか。これを読んで感動した。ということで。

元の詩 茨木のり子 「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

それを読んだ作家の氷室冴子さんの文章。

二度と耳にしたくないほどの汚いことばで、人をなじったことがある。二十代の終わり頃だったろうか。そんな汚い、悪意にみちたことばが、自分の口から出たことに傷つき、その傷を他人のせいにしなければ耐えられないほど苦しくて、自分が正しいと信じたくて、際限なく他人を憎み、周囲を責めていく。かつて自分のなかにあったはずの善意や無邪気さを、ひとつひとつあげつらい、失われたのは時代のせいだと決めつける。泣きながら、そんなことばかりを口走っていたある日、いつも黙って聞き役に徹していた友人が、一冊の文庫本をさし出した。ちくま文庫『心に届く話し方』川崎洋著だった。川崎洋さんの詩のように優しいエッセイ集の最後、ほんとうに一番最後に、この詩がぽんと載っていた。なんの解説もなく。気がつくと声に出して読み、泣いていた。こんな詩があるということ。それをそっと知らせてくれる友人がいたということ。すべてに感謝したくて、涙があふれてとまらなかった。

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2004.05.28

目の覚めない朝

義父が急に亡くなった。9年前、脳出血で倒れリハビリしていたのだが、25日に再び倒れ、運ばれた病院でそのまま息をひきとった。安らかな相だった。74年間ご苦労様、合掌。そして、9年間も義母の介護が続いていた。ご苦労様。自分もまたいつか、目の覚めない朝を迎えることになるのだろう。

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2004.05.26

ロボページ改造計画

robope-ji.jpg

 我が家のパソコンは結構酷使されている。お父さんはココログ。カミさんは食後のテトリス。息子はゲーム。最近、息子ががいろんなページをのぞくので困っている。それでまあ、『ダンデライオン』も発見した訳なのだが。見てはいけないページまでいくこともある。
 そして息子がお父さんのページを見ていわく、ぼくのロボページつまんない。もっとこんなのつくってー。と最近うるさい。しかたなく、わかったすこしずつ勉強するから。ということでロボページを改造する約束をした。であるが、けっこうめんどくさい。どこまでできるかわからないが、気長にゆっくりと1mmの前進でやっていこう。どうなることやら。

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2004.05.24

ものもらい

今日は、
高田渡の歌で「ものもらい」という歌を
歌いながら、帰ってきた。
自転車に乗りながら。
もちろん歌詞は山之口貘だ。
落ち込んでる時はなぜか元気な歌はうけつけない。
そういう時はドリカムなんてイヤだ。
かといって、この歌は暗くもない。
暗さを、飄々と超越した、とぼけた歌だ。

家々の窓口をのぞいて
歩くたびごとに ものもらいよ
ものもらいよ ものもらい
街には たくさんの恩人が増えました
恩人ばかりをぶらさげて
狭い街には住めなくなりました
道交違反になりまして
狭い街には住めなくなりました

ある日 港の空の下の
船を ながめ ものもらいが
ものもらいが いいました
ため息をつきながら
俺はなまけもんと いいました

恩人ばかりをぶらさげて
狭い街には住めなくなりました
交通妨害になりまして
狭い街には住めなくなりました

だんだん歌ってるうちに
気持ち良くなって、
だんだん声も大きくなって、
自分がフォーク歌手か何かのように思えてきて、
ついには周りが気にならなくなって、
更に声が大きくなって、
しまいには気分がすっかり良くなり、
家に付く頃には
ついには元気になってしまった。
な〜んだ、もう家か。
ちぇ。

吾が心の「ものもらい」自己完結編

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2004.05.22

Bump of Chicken は結構有名だった。

Bump of Chicken は結構有名だった。
10枚以上もCDを出していた。
その中の「jupiter」という
3rd Albumに『ダンデライオン』が入っている。
早速、インターネットで区内の図書館に予約を入れる。
区で全部で6点存在していて、すでに予約が20件入っていた。
そんなに有名だったんだ。
知らなかった。

今日は家のカミさんまでも口ずさんでいた。

オフィシャルサイトはこちら
BUMP OF CHICKEN

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朗読カセットで読んだ『サラサーテの盤』

 フランツ・カフカの『変身』がファンタジーだとしたら内田百?の『サラサーテの盤』もファンタジーに違いない。ファンタジーはファンタジーでも一風変わったファンタジーではある。本文にも出てくるのだが、頭の毛が一本立つという感じ。
 録音時に何かの手違いで演奏者の声がはいってしまったといういわくつきの名盤、『チゴイネルワイゼン』。死んだ友人から借りたままになっていたそのレコードを未亡人から返すよう求められる。それは死んだ友人の前妻の遺児の寝言を聞いて未亡人が来るのだった。
 なんか、冒頭の伏線がエピローグに関わっているのだが、そのへんが何回か聞き返してもいまいちよくわかない。であるが、一種異様な妖気みたいな気配が全編をつらぬいている。夏目漱石の『夢十夜』に暗示を得て書かれたらしい。つい最近までこの作家の存在すら知らなかったのだが、気になるサイトの二人までこの作家のことを取り上げていた。良くわかんないので、解る人いたら教えてください。気になる作品です。
 実は本を読んだわけではなく、読みたい本であったのは本当なのだが、図書館で朗読カセットを偶然見つけたので借りてきて聞いた。眠くなるのがいまいちなのだが、読むよりは全然楽でいいかもしれない。朗読カセットで読んだ名作は実は5作ぐらいある。

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2004.05.20

二つの『シエリト・リンド』

 一つの曲を違う二人の演奏家で聴き比べるのは楽しい。その曲の良さ、聴かせどころ、二人の演奏家のセンスの違いや解釈の違い。色んな違いや反対に共通する部分の発見があったり、いずれにしてもその曲を理解する上では聴き比べるのが最も楽しいし、一番いい方法だと思う。最初に聴いたバージョンがあまりにも印象的すぎて、他のバージョンが色あせたものに思えるときもあるけど、反対の場合もある。
 この『シエリト・リンド』あるいは『シェリト・リンド』を知ったのはパコ・デ・ルシアという人のフラメンコギターのアルバム。その人も全然知らなくて、ただフラメンコ・ギターのアルバムというだけで図書館から借りてきたものだった。やはり演奏は素晴らしく、技術、音、ハートも申し分なかった。なかでもこのワルツの曲が特に気に入って、このブログのサイドバーにもアップしたくらいだ。そして数週間後、図書館で前から借りようと思って、人気があって借りられなかった『上松美香』さんのアルバムを発見。『上松美香』さんは『アルパ』の奏者で、ご存じの方も多いと思う。『アルパ』という楽器を説明すると、要するに本物のハープを少し小さくしたような楽器で、インディアンハープとも呼ばれてるらしい。弦の上の方に、一本ずつ糸巻機が付いている。ちょっと前『千と千尋の神隠し』の主題歌を歌った木村弓さん(彼女もライアーというかわったハープを持って登場する。あの詩のこともいつか書こうと思っている。)と共演したので、覚えている方も多いのではないか。その『上松美香』さん4枚目?のアルバム、六本木の『アガペ』というラテン・アメリカのライブハウスで演奏した『SALUD』を聴いた。いや〜、もうのっけからものすごい。宣伝の帯にもあるのだが、「炸裂するリズムの嵐、飛び散る汗、沸き立つ歓声」まさに興奮さめやらぬ白熱のライブだ。そして、あれこれはどこかで聞いたことがあるぞという感じで、この『シエリト・リンド』に再び巡り会ってしまった。解説には「メキシコの第2国家とも言われ親しまれているこの曲の題名は“美しい空”で、可愛い恋人を空にたとえて歌われます」とあった。そして彼女の演奏では基本はもちろんワルツなのだが、「ウアパンゴのリズムに変わり、更にベラクルスのハローチョのリズムで演奏されます」とあった。聴いたことのない人は、何いってるのかもちろん解らないと思うけども、いわゆる変奏曲で最後にまたワルツのリズムに戻ってくる。そしてその時に圧巻の会場全体を巻き込んだ大合唱となるところは聴き応えたっぷりだ。
 ワルツといえばダンス。ダンスといえばキューバ、アルゼンチンなどなど。ダンスといえばさかのぼっていえば、狩りの時の豊猟を願うダンス。勇気を奮い起こさせる根元的な音楽。そんなルーツを思い出させる音楽。そんなラテン音楽恐るべし。

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ダンデライオン再び

実は歌詞の意味がよくわからなくて、気にはなっていたのだが、
ある人のコメントを読んで、もう一度何回も読み直してみて、
ようやく意味が解ったような気になった。
実は、片思いの悲しい歌なのだろうか。
ライオンは太陽によく似たアイツに恋をしたのか。
そして、雨のある日アイツに会いに行こうと、
吊り橋を渡っているときに落雷に遭い、
吊り橋ごと谷に落ちてしまう。
そして、死を前にしてその思いを
伝えたくないが伝えたいという愛の矛盾。
伝えてしまったら、その思いはきっと消えてしまうような。
そのピュアな気持ちがタンポポの姿に化身する。
と、こういった解釈でいいのだろうか。
もちろん太陽によく似たアイツは
人それぞれ思いを寄せる友達でもいいだろうし、
恋人でもいいと思うけど。
ネットから大ヒット曲が生まれればいいと思いながら、
これ書いてます。
ちなみに、この歌詞を写経しておきます。


ダンデライオン
Bump of Chicken

寂しがりライオン 吊り橋を渡る
サバンナじゃ 皆に 嫌われた
橋の向こうで出会ったヤツは
太陽によく似た姿だった
お前は 俺が 怖くないのか?
逃げないでいてくれるのか?
吹き抜ける風と共に
一度だけ頷いた
涙の理由を 知ってるか?
俺にはわからないが
濡れた頬の 温かさは
恐らく お前が くれたんだ

雨の日もライオン 吊り橋を揺らす
金色の琥珀を くわえて
今日の土産は いつも無口な
お前によく似た色の小石
響く雷鳴 落ちる吊り橋
痛みに目を覚ませば
空は遠く 狭くなった
お前を泣かすものか
この元気な声が 聴こえるか
この通り 全然平気だぞ
濡れた頬の 冷たさなど
生涯 お前は 知らなくていい
止まない雨に 血は流れていく
もし生まれ変わるなら
お前の様な 姿になれれば
愛して貰えるかなぁ?
もう元気な声は 出ないけど
不思議と寂しくない
濡れた頬の 冷たさなど
恐らく お前が 奪ったんだ

涙の理由を 知ってるか?
俺にはわからないが
この心の 温かさが
そのまま 答えで 良さそうだ

季節は巡り 春が訪れ
谷底まで 金色の化粧
一面に咲く タンポポの花
ライオンによく似た姿だった


気になる方は再びこちら。
boc-dandelion-8.swf

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2004.05.19

ホーボー

boy.jpg フォークソングが今までの歌と大きく違っていたのは、演じる側と聞く側の垣根がなかったことである。昨日まで自分の部屋や教室で歌っていた人が、次の日はステージで歌っているという具合に、誰でも参加できた。しかも歌い手自らが作詞者や作曲者であり、上手い下手は関係なかった。ただ普段自分たちが考えていることや日記に書いた詩などを稚拙なギターに載せてメッセージソングとして歌っていった。それは音楽的にも文学的にも田舎の青年達に、アメリカのフォークソングの歴史からはじまりアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックのビートゼネレーションの時代までも目を開かせていったに違いないのだ。少なくても僕にとってそれは社会への参加の窓口であった。高田渡が歌う歌によってハーレム・ルネサンスの中心的な人物であったラングストン・ヒューズを知り、公民権運動にも関心を寄せるきっかけになった。また、吉野弘、黒田三郎、谷川俊太郎、金子光晴、山之口貘等の詩を知ったのも高田渡のおかげである。特に「ホーボーソング」とか「ホーボーズコンサート」という言葉からもわかるように、「放浪と自由」といったテーマを扱った歌はフォークソングの中心的なテーマであった。そいえば「フーテナニー」なんて言葉もあった。またジョーンバエズが主題歌を歌っていた映画ジョー・ヒルを観てアメリカのフォークソングのルーツみたいなものを知ることが出来た。ともかく最初はアメリカの亜流であったかもしれないけれども、「五つの赤い風船」などはアメリカの物真似ではないオリジナルな音楽性・独自性を、「斉藤哲夫」にはディランとは違った時代へのまなざしやリリシズムを感じたし、ノスタルジックではないが切ない歌がその他たくさんあり、自閉していた自己を解放するものであった。それはやはり国や時代の閉塞感も反映して、生まれるべくして生まれた歌なのかもしれない。

ホーボーは南北戦争後、アメリカ全土に鉄道網が敷かれようとしているなかで誕生した。
自由気ままな彼らの生き方は、自由へのアメリカ人の憧れと結びついて、コミックの主人公になるなどたちまちアメリカ文化に定着していった。そのホーボーにも波があり、過去に4回大流行を巻き起こした。最初は南北戦争後の10年間、2回目は第一次世界大戦後、3回目は1929年の大恐慌に始まる30年代、最後が第二次世界大戦後の時期である。
ホーボーにはいくつかのタイプがあって、働きながら放浪するホーボー、社会からドロップアウトして放浪をつづけるトランプ、酒飲みの放浪者バム、犯罪を常習とする放浪者イェグなどに分けられている。
ジャック・ロンドンの場合は、この分類に従えばトランプに属する。
ジャック・ロンドンの「ジャック・ロンドン放浪記」(川本三郎訳)(小学館)から

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2004.05.18

うちのぼうずが発見した「ダンデライオン」

たぶん♪ロック♪です。
少なくてもフォークではありません。
「ダンデライオン」
結構いけるかも。
興味のある方こちら。
boc-dandelion-8.swf

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反戦なのになぜUSアーミー

70-3.jpg

 ところが学生服を着ていった僕たちは、まわりの連中のファッションを見て気後れがしてしまった。(そんなところに学生服着て行くな〜)今では珍しくもないが、半袖のYシャツの下から長袖のTシャツを出して着ていたり、ジーンズのオーバーオール着ていたりチューリップハットをかぶっていたり米軍の払い下げのシャツにUSアーミーのワッペンをつけた連中(フォークは反戦なのになぜUSアーミーなのかよくわからない)がたくさんいたのだ。ああなんてかっこいいんだろうと思っても後の祭りだった。ともかくそのコンサートは相当なカルチャーショックだった。ファッションだけではくフォークソングは、色んな面で当時の若者に多くの影響を与えたと思う。たとえば音痴の自分でさえ兄貴のガットギターを借りて、秋田市の本屋でやっと探してきたgutsを見ながら練習し、フォークシンガーを夢見ていたのだから…。自分はその方面の才能がないのだと自覚するやいなやすぐあきらめてしまったけれども、友人はなんとか下手ながらもギターが弾けるようになり、僕の目の前で友部正人の「にんじん」を歌ったときはすごくかっこいいと思った。と同時にすごく悔しかったのを覚えている。また彼だけでなく、自分たちより少し上の先輩達が、同じ町の公民館で岡林信康の「友よ」などを歌っているのを聴いたりもした。これは後から知ったのだがそんななかに、「放送禁止歌」で有名な「山平和彦」や「東京」で有名な「マイペース」などがいた。

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2004.05.17

コンサートがやって来た

te-pu.jpg
 「フォーク大集合」という名前のコンサートが僕の住んでいた田舎にやってきたのは、おそらく1971年、中学2年か3年の頃だったと思う。出演は高田渡、遠藤賢司、加川良、三上寛、友川かずきといったメンバーだったと記憶している。その頃、僕はすでにラジオの深夜放送でフォークソングに目覚めていた。人と違ったことがしたい、やりたい、年頃であった。いかにマイナーでアンダーグラウンドな歌がこの世にあるのか、いかにそのへんで歌われている歌とは違った本音の歌があるのか、僕は競うような気持ちでそんな珍しい歌を深夜放送で探し求めた。そして、たまたま家にあったオープンリールのテープレコーダに録音したりしていた。
 当時、日本は経済的に大発展をしていて、万国博覧会EXPO'70が開催されたり、学生運動や70年安保問題があった。アメリカではベトナム戦争があった。その頃田舎に住んでいた自分には年齢的にもまだそんなに関心が持てることではなかったが、それでも高田渡の「自衛隊に入ろう」や加川良の「教訓」五つの赤い風船の「まぼろしのつばさと共に」等を聴いて解ったような顔つきをしていたような気がする。そして、そのような歌に関わっていられることがその問題をみんなと共有しているような気になった。そしてそれがすごくかっこいいことのように思われた。また、田舎の坊ちゃんだったので「フォークゲリラ」なんて言葉をテレビやラジオで聴いたりすると、もしかして歌で世界が変えられるかもしれないなんて真剣に考えたりもした。そしてそんな歌を歌う彼らに会うべく友達と二人でいそいそとそのコンサートに出かけたのであった。

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2004.05.16

キューバとピート・シーガーと60年代フォークソング

 昨日は、ETV特集を見た。そして昨日エントリーしようと思ってたキューバの音楽が、ピート・シーガーという共通項で繋がってしまった。びっくり仰天したのは、高石ともやの発言だった。彼が立教大学をやめ大阪の釜ヶ崎で日雇い労働者として働いていたとき、「たまたまピート・シーガーのカーネギー・ホールのフリーダムコンサートのLPを買って聞いたのが、フォークソングを歌うきっかけとなった」と言ったのだ。実はその「ピート・シーガーのカーネギー・ホールのフリーダムコンサート」のなかで歌われた歌、「グァンタナメラ」のことを書こうと思っていたのだ。
 「グァンタナメラ」それは、キューバ音楽の中でもっとも有名な曲らしい。新聞のちょっとした囲み記事を見つけたのだ。最近、キューバの音楽に関心がいってて、そうでなければそんな小さな記事なんか読む気にもならなかったのだが、読んでみるとなにやらピート・シーガーのことが書かれているではないか。どれどれといった感じで読んでみた。そのメロディーは東部州のウァンタナモの田舎に住む人々をイメージさせるのどかなもので、後に、キューバ独立の英雄ホセ・マルティの詩をのせたものが有名になったらしい。マルティは第2次独立戦争の時に革命のために命を落としたが、その後、1959年の米国からのキューバの独立の原動力になった人だ。革命前も後も、この曲が世界的に有名になったのには、もう一つの訳があるというのだ。それは、米国のフォークソングのリーダー的存在だったピート・シーガーが63年、つまりキューバとの国交を失った後にカーネーギー・ホールでこの曲を歌ったのが、そのもう一つの理由だというのだ。実際にそのコンサートもそのLPも聞いたわけではないので、詳しくはその状況がわかならないのだけれども、キューバの人にとって心強い応援であったと同時に、誇らしくもあったに違いないことは想像される。
 その「カーネギー・ホールのフリーダムコンサート」のLPを聞いて高石ともやは、フォークソングを意識しはじめ、意識してフォークソングを歌いはじめたと発言したのだ。高石ともやといえば、高田渡よりも数年早く歌はじめた人だ。僕の知ってる同時代のフォークシンガーでは中川五郎、岡林信康、早川義夫、金延幸子くらいか。だから彼がピート・シーガーの曲やアメリカ民謡に「訳」ではなく自作の「詩」をのせて歌いはじめた日本のフォークソング誕生の一瞬を語った重要な発言だと思って、とても感慨深かった。しかもそのピート・シーガーはキューバの歌をそのコンサートで歌っていたなんて。もしかして、日本のフォークソングもキューバの影響を受けてるなんていっても、あながち嘘にはなるまい。
 その他、あの番組で思ったことはいろいろあって。たとえば以前から「京都」という土地が日本のフォークソングの重要な舞台になっていたこと。あの番組では、1968年の「フォークキャンプ」が「宝寺」というお寺の広間で行われたこと。フォーク・クル・セイダースが京都からデビューしたこと。高田渡やボブ・ディランの翻訳で有名だった中山容さんなんかが京都に住んでいたこと。それから、新宿西口公園のフォークゲリラで有名な「ベ平連」とかにプロである彼らが商業主義だといって批判されたこと。そして、コンサートが途中から討論集会になっていったこと。アマチュアや学生たちをリードしていた彼らが、商業主義という批判を自分のなかでそれぞれ、答えを出し、ある人はとは沈黙し、ある人は歌い続け、線香花火のように短いフォークソングの時代を駆け抜けていったこと。そして彼らが50代、60代を迎えまた歌いはじめたこと。高石ともやの歌がけっこう良かったこと。「死んだ男の残したものは」という曲の作詞は谷川俊太郎だというのは知ってたが、作曲が武満徹だと知って驚いたことなど。新たな発見も多い番組だった。おいおい頭の中を整理しながら、またフォークソングのことを少しずつ書いていきたい。
 高田渡のことでいえば、ほとんど知ってることだったので、あまり新しい発見はなっかた。ただ、酔っぱらいの一面だけ妙にクローズアップされてて、特にそう言う風に編集された感じではなかったが、取材したコンサートがたまたまあんな感じだったという印象を持った。何回か彼のライブにはいったことがあるが、ファンとしては彼の歌ってる「詩」のこととか「音楽」のことをクローズアップして欲しかったというのが本音だ。それに反し、高石の歌の上手さや生きてるピュアな感じ、とてもよく伝わってきたのが、高田渡ファンとしては微妙に複雑な気持ちだ。そして、彼の「おいでよ僕のベッドに」も聞いてみたかったし、中川五郎や岡林信彦のことが出てきてもおかしくなかったのではないか? 渡と高石の二人だけでフォークソングのすべてが語られる訳ではないということを前提に見れば、かなり面白い番組ではなかったかと思う。

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2004.05.15

グアンタナメラ

「グアンタナメラ」というキューバのもっとも有名な曲について書こうとしてたんですけど、
完成間近というところで消えてしまいました。
なので、もう一回煮詰めて、再度エントリーします。
ピート・シーガーのことと関連しています。
今日は、ここまで。

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2004.05.14

明日はNHK!

K style website::blogさんの情報によると明日5月15日(土)NHK教育TVで22:00〜23:30まで「フォーク」であること〜60年代フォーク歌手たちは今〜というテーマで高田渡が出演する予定。何はさて置いても見なくては。しかも1時間半もやるの〜。うれしい。予定では「タカダワタル的」のレイトショウを見に行こうかなと考えていたのだが、来週とその次の週の土曜もやるということなので、まだチャンスはある。なので、まずはこれを見なくては。

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2004.05.09

免疫学者のインタビュー

多田富雄さんへのインタビューだった。東大の名誉教授で免疫学者らしい。この人は全然知らなかった。でも遺伝学者柳澤桂子さんとの往復書簡『露の身ながら』(集英社)を出版とあって、この記事を読む気になった。柳澤桂子さんは2002年のNHK人間講座の『生命の未来図』で講義をされた方で、この番組をたまたま楽しみに見ていた。講義そのものも凄く魅力的だったんだけど、その話す姿が普通ではないなと、失礼ながら感じた。その理由が彼女のプロフィールをみてわかったとき、更に彼女の講義が身にしみてこちらに伝わってきたのを覚えている。彼女は何十年も原因不明の病気と闘っている。しかも生と死の境界をさまようような。それから何冊か彼女の著作を読みあさるようになっていたのだ。その彼女との往復書簡と聞いて、彼も何らかの病気を持っているのか? と思いきや、やはり2001年に脳梗塞で倒れ右半身不随と嚥下障害、講音障害になって今も闘病生活を続けているというのだ。そして、遺伝学者との往復書簡。命に対する考え方が変わったと彼は言う。「命は露のように儚いもの、という実感を味わいました。でもそれゆえに、いとおしいものだと思います。健常者だったころは、わからなかった感覚です。時には、めげそうになり、死の誘惑に駆られることもあります。麻痺してる側の首や肩が痛くて……。しかし、“こんな苦しみには負けない”と思って生きています。今は、命がなくなるまで生き抜く勇気がわいてきます——人が生きていく上で免疫から学ぶことは多い」と。更に「免疫というと、一般には、人体に害になるものを排除する役割を思い浮かべるでしょう。しかし、免疫が強力に働いてしまうと、逆に自身を痛めつけ、命にかかわる場合もある。そのような場合、免疫はあるところでその働きをとめるのです。『免疫学的寛容』と呼ばれる現象の一つなんですが、拒絶するだけではなく、共存関係も探るんですね。こうした現象は自分と他者との関係について、参考になると思いますよ」と語る。そして、「自分は障害と闘いぶつかりあっているが、柳澤さんはやさしく困難を受け入れ、病との共存を願われている」とも。なんと含蓄の深い言葉か。しかも、週4日は、病院へリハビリに行き、汗をながしているという。さらに、その身体で、「能」への造詣もふかく新作能への創作意欲満々と伺う。なんともすごいではないか。この記事に多くのことを学ばせていただいたような気がした。『露の身ながら』(集英社)も是非読みたいと思った。そのやりとりは、多岐にわたったとあった。そして「クローンをめぐる問題など、科学が人間にとって危険な方向に進んでいるとの懸念と、平和を求める心は、とくに共感するところが多かった。一方で、障害者には、それぞれの文化があるとも感じた」と。

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2004.05.08

タビビトの木

後、一家で光が丘公園まで自転車で散歩。ポタリングというのだろうか。しかし、ママチャリ二台とMTB一台。あまりかっこよくはない。寺山修司の詩集に「われに五月を」とうのがあるが、やはり五月だ。草や木が生きている。当たり前だが、僕には木の樹液が涙に見える。うれし涙かもしれない。そして銀杏の緑が、こんなにも基本的な緑色だったとは思わなかった。バラ園をのぞいた。いろんな名前の色んな色のバラが咲き香っていた。ハーブ園ものぞいた。こっそりステビアの葉っぱをかっじてみた。ほんの少し甘い味がした。ごめんなさい。温室があった。ガラス張りの大きな部屋といった感じで、その部屋に土や緑があってムンムンしている。南国の名前も良く知らない植物たちの匂いに酔っぱらいそうだった。部屋の中に土や緑や虫や池やめだかなんかがいるのはとても不思議だった。そんなものは、いつだって外にあるはずのものじゃないか。もしも、自分の家をたてるなら、こんな家がいいなと思った。バナナやカカオやコーヒーやそんなものを取って暮らしたい。普段はパンツ一丁でも寒くない。そんなところで、一日、葉っぱの絵を描くのも悪くないなと思った。そして、「タビビトの木」という凄く大きなきがあった。木の姿というものは、人生を象徴してるように思う。昔、ユングの本を読んだとき、精神を病んだ人がものすごく大きな木を見て、「役たたずだったから、人目にも触れず、こんな大きく育ち、長く生きているのだ」と自分の人生に重ね合わせ、その意味を悟り、病気を克服した。というのを読んだことがある。そんな印象的な木にめぐりあうことが、何回かある。「タビビトの木」もなにか、僕にとって印象的な木だった。

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な〜んちゃって掲示板

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2004.05.01

コンセプチュアルアート

昔、コンセプチュアルアートやミニマルアートがはやった。
日本でいえば、ハイレッドセンター。
高松、赤瀬川、中西のメンバー。
もしかして、短歌の世界にもそんな動きがあるのか?
ただひたすら、言葉や意味のギャップや落差を楽しもうとするのか、
考えれば考えるほどわからなくなる。
第2段もその流れだというのだけはわかった。

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明るい陽気なギター

同じ三味線でも、沖縄の三味線と津軽の三味線は違う。
同じ楽器にはとても思えない。なぜ、こうも違うのか。

同じように、ギターにもそれがいえると思った。
ギターの音色は悲しいものだとばかり思ってた。
そこが好きだったのだが、明るい音色の音楽を聞いた。
ニコ・サキートの「荷車ゆれて」だ。
おなじギターでもこうも違うのか。
でも、キューバのプロテストソングらしい。
ぼくには、明るく、陽気に聞こえてしまう。
楽器そのものも違うのだろうか。
キューバの音楽だからだろうか。

キューバの歴史とか、全然知らない。
カストロ、革命、アメリカと犬猿の仲、
村上龍が「KYOKO」のなかで語ってたダンスと音楽。
その程度しかしらない。
でももっと絵でもなんでも
僕の知らないキューバがたくさんあるんだろうな。

急に僕のなかでキューバがシンクロしてきた。

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